アジア在来コムギの黄さび病抵抗性の遺伝的基盤を解明
〜木原博士以来収集された在来品種の育種活用へ〜
横浜市立大学木原生物学研究所 清水健太郎客員教授(チューリッヒ大学 進化生物・環境学研究所長・教授兼任)および京都大学農学研究科 那須田周平教授、国際農林水産業研究センター岸井正浩主任研究員らの研究グループは、高精度のゲノム情報と最新の解析手法を用いて在来品種*1を中心とするアジアのコムギ交配系統の黄さび病抵抗性(図1)を解析し、特にヒマラヤ山脈南側の地域の在来品種のゲノムに黄さび病抵抗性を司る領域があることを解明しました。この発見により、栽培品種にはない遺伝的多様性を持つアジアの在来品種の有用性が示されました。本研究で得られた知見を育種に応用することで、気候変動下においても病害に強いコムギの作出が可能となり、食料の安定供給に貢献できるものと期待されます。
本研究成果は、国際科学誌「Theoretical and Applied Genetics誌」に掲載されました(日本時間2025年6月5日14時)。
本研究成果は、国際科学誌「Theoretical and Applied Genetics誌」に掲載されました(日本時間2025年6月5日14時)。
研究成果のポイント
● 木原均博士以来の日本のコムギ遺伝学研究者を主な構成員とする調査隊によって収集された系統を含むアジアの在来品種コレクションから作出されたコムギ交配系統について、黄さび病抵抗性のデータを収集。
● 在来品種とゲノム解読をした農林61号との交配により、新たな黄さび病耐性ゲノム領域を発見。
● 本研究の成果を育種に応用することで、病害に強いコムギを作出でき、食料安定供給に貢献できると期待される。


研究背景
現在の世界の食料安全保障の鍵は、コムギが握っていると言っても過言ではありません。現に、ウクライナ・ロシア産のコムギの輸出入制限によって食糧難が起きています。また、これまでグローバル化とともに黄さび病などコムギの収量の減少を引き起こす感染症のエピデミックが繰り返し起こってきましたが、近年は気候変動によりエピデミック(世界的ではないが地域を越えた大規模な病害発生)がより加速しています。これらの理由から食料安定供給につながる、病害に強いコムギの育種が待たれています。
横浜市立大学・木原生物学研究所の創始者である木原均博士によるコムギのゲノム研究以来、日本のコムギ研究は伝統的に世界をリードしてきました。特に、木原博士に師事した中尾佐助博士ら日本のコムギ研究者が収集したアジア各国のコムギ在来品種が京都大学で維持されてきました。こうした在来品種は、各地域で長年にわたり農民が育ててきた品種であり、さまざまな環境耐性や病原菌抵抗性を持っています。しかし、近代農業の普及により急速に失われつつあるため、現在となっては新たな収集が困難な、貴重な生物多様性の遺伝資源です。なかでもアジアの在来品種は独自の遺伝的多様性を持つがゆえに潜在的に有用な資源と認識されながらも、これまで育種への応用が遅れていました。
横浜市立大学・木原生物学研究所の創始者である木原均博士によるコムギのゲノム研究以来、日本のコムギ研究は伝統的に世界をリードしてきました。特に、木原博士に師事した中尾佐助博士ら日本のコムギ研究者が収集したアジア各国のコムギ在来品種が京都大学で維持されてきました。こうした在来品種は、各地域で長年にわたり農民が育ててきた品種であり、さまざまな環境耐性や病原菌抵抗性を持っています。しかし、近代農業の普及により急速に失われつつあるため、現在となっては新たな収集が困難な、貴重な生物多様性の遺伝資源です。なかでもアジアの在来品種は独自の遺伝的多様性を持つがゆえに潜在的に有用な資源と認識されながらも、これまで育種への応用が遅れていました。
研究内容
本研究では、ネパール、パキスタン、中国、日本の25の在来・近代品種を用いて世界のコムギ生産に大きな打撃を与えている黄さび病への抵抗性の遺伝的基盤を研究しました。この研究を可能にしたのが、国際コムギ10+ゲノムプロジェクトの一環として2020年に横浜市立大学のJST CRESTプロジェクトを中心にして解読された日本を代表するコムギ品種農林61号の高精度のゲノム情報と、京都大学において新田みゆき研究員らによって上記25品種から作出されたNAM集団*2と呼ばれる交配系統です。
チューリッヒ大学のKatharina Jung博士課程学生(当時)や秋山玲子CREST研究員(当時)は、まず上記25品種のうち事前調査でさび病抵抗性を示した14品種から作出された1,060の交配系統を、コムギ育種の世界的拠点であるメキシコのCIMMYTとスイスの圃場で各2年にわたり栽培し、黄さび病抵抗性を評価しました。そして京都大学等との共同研究によりこれら交配系統のゲノム情報を収集しました。その上で黄さび病抵抗性データとゲノム情報を京都大学のJilu Nie博士課程学生(当時)らによって開発されたコンセンサスマッピング*3の手法と農林61号の高精度のゲノム情報を用いて解析しました。
解析の結果、ネパールやパキスタンなどヒマラヤ山脈の南側地域の在来品種のゲノム上に新規と考えられる黄さび病抵抗性をもつ領域(遺伝子座*4)があることが明らかになりました(図2)。ヒマラヤ南側地域は黄さび病病原菌の起源地であると考えられており、病原菌の遺伝的多様性が高いことが知られています。このことから、この地域の在来品種は長年にわたり多様な黄さび病病原菌にさらされてきたために、コムギの病原抵抗性が進化していた可能性が示唆されます。さらに、日本の在来品種である延岡坊主小麦にも黄さび病抵抗性遺伝子座が見つかりました。これらの結果より、日本を含むアジアの在来品種の有用性が示されました。
チューリッヒ大学のKatharina Jung博士課程学生(当時)や秋山玲子CREST研究員(当時)は、まず上記25品種のうち事前調査でさび病抵抗性を示した14品種から作出された1,060の交配系統を、コムギ育種の世界的拠点であるメキシコのCIMMYTとスイスの圃場で各2年にわたり栽培し、黄さび病抵抗性を評価しました。そして京都大学等との共同研究によりこれら交配系統のゲノム情報を収集しました。その上で黄さび病抵抗性データとゲノム情報を京都大学のJilu Nie博士課程学生(当時)らによって開発されたコンセンサスマッピング*3の手法と農林61号の高精度のゲノム情報を用いて解析しました。
解析の結果、ネパールやパキスタンなどヒマラヤ山脈の南側地域の在来品種のゲノム上に新規と考えられる黄さび病抵抗性をもつ領域(遺伝子座*4)があることが明らかになりました(図2)。ヒマラヤ南側地域は黄さび病病原菌の起源地であると考えられており、病原菌の遺伝的多様性が高いことが知られています。このことから、この地域の在来品種は長年にわたり多様な黄さび病病原菌にさらされてきたために、コムギの病原抵抗性が進化していた可能性が示唆されます。さらに、日本の在来品種である延岡坊主小麦にも黄さび病抵抗性遺伝子座が見つかりました。これらの結果より、日本を含むアジアの在来品種の有用性が示されました。


今後の展開
本研究は、木原均博士以来の半世紀以上にわたる日本のコムギの基礎研究によってもたらされたアジアの遺伝資源を活かし、現代のグローバル化と気候変動化における課題であるコムギ黄さび病への対策の糸口を見出しました。これまで育種に利用されてきた病原抵抗性遺伝子では、短期間で耐性株が出現したために有効性が失われることが多くありました。一方、今回発見された黄さび病抵抗性遺伝子座は、ヒマラヤ山脈南側などの広い地域の品種に分布していることなどから、持続的に抵抗性を発揮できる可能性があります。本研究の成果を育種に応用することで食料安全保障への貢献が期待されます。
研究費
本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業JPMJCR16O3(CREST「環境変動に対する植物の頑健性の解明と応用に向けた基盤技術の創出」)、JSPS科研費22H05179(学術変革領域「植物の挑戦的な繁殖適応戦略を駆動する両性花とその可塑性を支えるゲノム動態」)、22K21352(国際先導研究「植物生殖の鍵分子ネットワーク」)、21H05366, 22H02316、ナショナルバイオリソースプロジェクト(NBRP)・コムギ、日本医療研究開発機構ゲノム情報整備等プログラム、チューリッヒ大学グローバル戦略・パートナーシップ基金などの支援を受けて実施されました。
論文情報
タイトル: Unveiling yellow rust resistance in the near-Himalayan region: Insights from a nested association mapping study
著者: Katharina Jung, Reiko Akiyama, Jilu Nie, Miyuki Nitta, Naoto-Benjamin Hamaya, Naeela Qureshi, Sridhar Bhavani, Thomas Wicker, Beat Keller, Masahiro Kishii, Shuhei Nasuda, Kentaro K. Shimizu
掲載雑誌: Theoretical and Applied Genetics
DOI: 10.1007/s00122-025-04886-z
著者: Katharina Jung, Reiko Akiyama, Jilu Nie, Miyuki Nitta, Naoto-Benjamin Hamaya, Naeela Qureshi, Sridhar Bhavani, Thomas Wicker, Beat Keller, Masahiro Kishii, Shuhei Nasuda, Kentaro K. Shimizu
掲載雑誌: Theoretical and Applied Genetics
DOI: 10.1007/s00122-025-04886-z
用語説明
*1 在来品種:各地で主に伝統農法によって維持されてきた、系統育種を経ていない品種。地域の環境条件や問題によく適応しており、地域特有の特徴を持つことが多い。現代品種と比べると収量性の面では及ばない部分もあるが、一方で現代品種には無い有用形質を保持している場合も多い。系統育種はイネやムギなどの栽培品種作出に多く利用されている方法で、病害抵抗性や高収量など望ましい形質をもつ系統を交配してその第二世代以降の種子を個体別に採取し個体毎に小系統を作っていく過程で優秀な小系統を選抜するというもの。
*2 NAM集団:Nested Association Mapping集団の略。ある特定の系統の個体を複数の系統それぞれの個体と交雑させ、自己の花粉と胚珠の交配で種子を残す自殖によって繁殖させて得た後代からなる系統群。複数の有用な遺伝的領域を特定しやすいという特長がある。
*3 コンセンサスマッピング:異なる個体のゲノムについて、共通して見られる配列パターンをまとめ、ゲノムを構成する遺伝子地図や物理地図などを作製すること。
*4 遺伝子座:ゲノム上の特定の場所にある遺伝子の位置。
*2 NAM集団:Nested Association Mapping集団の略。ある特定の系統の個体を複数の系統それぞれの個体と交雑させ、自己の花粉と胚珠の交配で種子を残す自殖によって繁殖させて得た後代からなる系統群。複数の有用な遺伝的領域を特定しやすいという特長がある。
*3 コンセンサスマッピング:異なる個体のゲノムについて、共通して見られる配列パターンをまとめ、ゲノムを構成する遺伝子地図や物理地図などを作製すること。
*4 遺伝子座:ゲノム上の特定の場所にある遺伝子の位置。
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