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附属市民総合医療センターとCOVID-19

附属市民総合医療センターとCOVID-19

感染制御部 部長 築地 淳

ーセンター病院では、大規模感染症発生を想定した一定の準備・トレーニング・覚悟ができていた

令和2年(2020年)は56年ぶりに開催される東京五輪への熱い期待とともに新年を迎えたものの、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が世界を席捲した衝撃的な年となりました。ただ私たちにとって不幸中の幸いだったのは、まずセンター病院は首都圏屈指の高度救命救急センターを有し、五輪では大観衆を集める競技(野球・サッカー等)が横浜市で開催されるため、大規模感染症発生の事態(mass gathering infection あるいはバイオテロリズム)を想定した一定の準備・トレーニング・覚悟がすでにできていたことです。昨春の日本感染症学会総会・国際シンポジウムにおいて私たちセンター病院・感染制御部の五輪感染対策関連の取組みを紹介した際の討論でCBRNE(テロ)専門家からの助言を得ていたことや、夏のTICAD(アフリカ開発会議)横浜開催中は救命救急センターと共同でエボラ熱患者の来院を想定した動線確認や外国人対策などの準備に取り組んでいたことが思わぬ形で役立つこととなりました。例えば、大規模テロが発生した場合、様々な重症度の被害者多数が一斉に病院を目指します。直後は自力歩行できる多数の軽傷者が押し寄せ、後から来院する重傷者治療が妨げられるため適切な重症度のトリアージにより役割分担することが、病院機能を維持しながら限られた医療資源を最大限活用するための要諦であることを学んでいました。この理解は救急部門とのクルーズ船対策の協力を推し進めていく上で非常に役立ちました。

 
写真A(左)感染制御部部員による新型コロナ感染症(COVID-19)の患者のケアにあたる職員に対する防護具着脱訓練の様子 写真B(右)次々に搬送されてくるダイヤモンド・プリンセス号の乗客患者の情報を感染制御部本部の白板上で共有(表&裏)。 院内における対策立案や検疫(厚労省)・保健(行政)両当局、大使館との調整にあたった。

ーダイヤモンド・プリンセス号が横浜港に入港

春節直後の中国政府による武漢封鎖からほどなくして、2月3日夜、ダイヤモンド・プリンセス(DP)号が横浜港にやってきました。船内で一体何が起きているのか詳細なことは誰にもわからず、関係者はおしなべて当惑していました。翌2月4日夜、横浜市健康福祉局により20余の市内主要医療機関の感染部門担当者が市役所に緊急招集され対応が協議されましたが、これに先立ちセンター病院では、救命救急センターの竹内教授から重症者に医療資源を集中投入する提案がされ、後藤病院長(当時)をはじめ幹部の全面的な支持のもと、すでにセンター病院の基本方針として確立していました。私たちはこの会議で横浜市健康福祉局、他の医療機関の関係者に対して私たちの方針を伝え、病状の重症度別に病院間で協力し合うことへの理解を訴えました。 

ーCOVID-19患者の受入れが始まり、現場の緊張、不安、そして疲労の限界。さらに医療物資不足が追い打ちをかける

DP号の横浜港停泊が長期化し、COVID-19患者のみならず体調を崩した患者が次々に搬送されてきました。センター病院の使命である高度医療・三次救急の機能を維持しつつ在来患者さんも来院されているなか、施設の老朽化問題もあり、DP号患者との動線が交錯しないように大変神経を使いました。さらに当初はPCR検査の結果判明に大変時間がかかり、その間は乗客患者を隔離の上、ケアにあたる全員が防護具で身を固めて職務の遂行にあたりました。医療スタッフとそれを支える職種、部門、職員が緊張、不安、そして疲労の限界を感じながらも患者ご本人の治療・ケア、家族への支援、自分の職務にいつも誠実に向き合っていました。感染制御部は職員の防護具着脱に関する講演・実技指導【写真A】、日々の現場での感染対策の確認や精神面のフォローを行い、ケアのプロとしての自覚を鼓舞しながらも、心の奥深くに潜む不安を取り除くことに苦心しました。さらに想定外にも、DP号患者は検疫手続き未完了のまま搬送されてきており、検疫(厚労省)・保健(自治体)の2つの異なる当局からの指示、要請、情報により現場の混乱に拍車がかかりましたが、私たちは両当局間の調整にも多大な労力を払いつつ何とかこの難局を乗り切りました【写真B】 。ところが、すぐに医療物資不足による危機が追い打ちをかけるようにやってきました。医療用マスクの枯渇は深刻で、例えば、サージカルマスクやN95マスクは、感染対策をとりながら職員一人一枚1週間の使い回しでしのぎました。

 

ーセンター病院の全職員がプロとしての責任感、使命感を持って対応

このような経験を本邦で最初に経験したことは、その後の応需体制の強化に生かされています。東京でいわゆるオーバーシュートによる医療崩壊が憂慮された際には、センター病院の応需体制はほぼ整い、言わば“待ち伏せ”状態となっていました。そしてDP号以降ずっとCOVID-19診療を継続しているセンター病院において職員・患者さんの間に二次発生を起こすことなく現在に至っていることにも繋がっています。
COVID-19患者のケア、院内感染予防は医師・看護師のみで成立しているのではなく、薬剤師、臨床検査技師、病室・院内全体の清掃を担う清掃委託職員、栄養部職員、リネン職員、関連機関との調整や物品の調整を担う事務職員等、院内全員が感染症患者に対し、それぞれのプロとしての責任感と使命感を持って対応した結果、成り立っています。また、皆が日常生活においても感染予防に努めていただいていることが院内感染予防につながっています。今、振り返ると、計り知れない不安と疲労にもかかわらず、皆の努力と協力で困難を克服し、耐えしのぐことができた「センター病院の全職員」を誇りに思うとともに、国・自治体のみならず、心ある一般市民・企業の方々からの貴重な物資のご寄付をいただき、これらを活用することで試練を乗り切れたことに感慨の念を隠し切れないのであります。 
 (2020/6/17)

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