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生理学 高橋琢哉教授がトラウマ記憶の形成を仲介する分子を特定~PTSDなどの治療の糸口に~

2013.11.14
  • プレスリリース
  • 研究

生理学 高橋琢哉教授がトラウマ記憶の形成を仲介する分子を特定~PTSDなどの治療の糸口に~

横浜市立大学大学院医学研究科 生理学 高橋 琢哉 教授の研究グループは特定の場所で受けた恐怖体験の記憶が形成される際にこれを仲介する分子を世界で初めて特定しました。

人は、様々な状況で嫌なことを経験します。事故や災害における恐怖体験や対人関係のトラブルといった社会的関係のストレスなど、その嫌な記憶は強く形成されてしまうとトラウマとなり、対人恐怖症等の社会性障害を引き起こします。中でも、全虐待の40%近くを占めると言われる養育放棄(ネグレクト)は社会的関係における強いトラウマの原因になり、この環境に育った子供は将来的に社会性障害を引き起こすことが知られていますが、すでに同研究グループは、幼若期の社会的隔離(養育放棄により発生する環境)によるストレスが脳の可塑性を低下させその機能低下を引き起こすこと、その脳回路形成に及ぼす分子細胞メカニズムを明らかにしています。トラウマ記憶形成の分子細胞メカニズムを詳細に解明することは健全な社会生活を営む上で非常に重要なステップです。

同グループは、以前げっ歯類を用いた研究で、「ラットが特定の場所に入った時に電気ショックを与えるとその場所に近づかなくなるが、その恐怖記憶が形成される際にグルタミン酸受容体の一つである *1 AMPA受容体が海馬のCA3領域からCA1領域にかけて形成されるシナプスに移行し、これが恐怖記憶形成に必要である」ということを発見しました(Mitsushima et al. PNAS 2011)。

今回の研究では、前述のAMPA受容体シナプス移行が、*2 アセチルコリンの分泌増加により仲介されていることを明らかにしました。本研究は心の傷をコントロールする新薬開発に向けたさらなる糸口になると期待されます。


図1 恐怖記憶の成立にはAMPA受容体のシナプス移行が必要であり、この現象はアセチルコリンの分泌増加により仲介される。
※本研究は『Nature Communications』に掲載されました(11月12日オンライン掲載)。
※本研究は、文部科学省「脳科学研究戦略推進プログラム」の一環として、また文部科学省「先端融合領域イノベーション創出拠点形成プログラム」などの助成により行われました。
なお、本学においては「学長裁量事業(戦略的研究推進費)」のひとつに位置付けられており、先端医科学研究センターの研究開発プロジェクトユニットが推進しています。

研究の背景と経緯

我々の脳は外界からの刺激に応答して変化をしていきます。こうした脳の機能を可塑性と呼びます。神経細胞と神経細胞をつなぎ、神経細胞間の情報伝達の中心を担っている構造体をシナプスと呼びますが、ある神経細胞が活性化するとその神経細胞のシナプス前末端より神経伝達物質が放出され、別の神経細胞にあるシナプス後末端にある受容体に結合することにより情報が伝わります(図1)。脳に可塑的変化が起こるとき、このシナプスの応答が増強するといった変化が見られます。
脳内シナプス伝達において中心的な役割を担っている神経伝達物質の1つはグルタミン酸であり、*1 AMPA受容体はその受容体です。動物が新しいことを経験してシナプスに可塑的変化が起こるとき、このAMPA受容体がシナプス後膜に移動します。これまでの研究から、「シナプス応答の増強はAMPA受容体のシナプス後膜への移動数の増加による」ということが明らかになっており(Takahashi et al. Science 2003)、AMPA受容体のシナプス移行が脳可塑性の分子基盤の一つである、というコンセプトは世界的に認められてきました。
様々な脳領域の中でも特に海馬は記憶の中枢として長い間大きな注目を浴びてきました。以前、本研究グループはトラウマ記憶が形成される際に、AMPA受容体のシナプス移行が海馬において起こり、かつトラウマ記憶形成に必要な現象である、ということを発見しました(Mitsushima et al. PNAS)。そして今回、海馬に依存した恐怖記憶が心に刻まれるときに起きるAMPA受容体のシナプス移行がアセチルコリンという物質の増加により仲介されているということを明らかにしました。 

研究の内容

本研究グループは、ウィルスを用いた生体内遺伝子導入法、電気生理学的手法、行動学的手法を駆使し、「海馬に依存した恐怖記憶(*3 Inhibitory avoidance task )が獲得される過程で、AMPA受容体の一つであるGluA1が海馬におけるCA3領域からCA1領域にかけて形成されるシナプスに移行してシナプス応答が強化されるが、この現象が*2 アセチルコリンという物質の分泌増加により仲介されていること」を明らかにしました。
 

今後の展開

本研究はトラウマ記憶形成の鍵となる仲介分子を特定したものです。本研究はPTSD(心的外傷後ストレス障害)などの心の傷に起因した社会性障害等の精神障害をコントロールする新薬開発の糸口になると期待されます。


(注釈)
*1 AMPA受容体:グルタミン酸を神経伝達物質としたシナプスは、脳内情報処理の中心的役割を担っている。AMPA受容体はグルタミン酸受容体の一つで、神経伝達物質であるグルタミン酸が結合すると、イオンチャネルを形成しているAMPA受容体が活性化し、イオンが細胞内に流入する。このイオンの流入がシナプス応答になる。したがって、シナプスにおけるAMPA受容体の数が増えることによりシナプス応答が大きくなる。このようなシナプス応答の増強は記憶学習をはじめとした脳内情報処理の変化の中心的メカニズムであることが知られている。

*2 アセチルコリン:神経伝達物質の一つ。脳内のアセチルコリンを増加させることがアルツハイマー病治療にも現在使われており、人間の認知機能に重要な役割を果たす分子として注目されている。

*3 Inhibitory avoidance task:明るい箱と暗い箱を隣接させて両方の部屋をラットが自由に行き来できるようにする。ラットが暗い部屋に入った時に電気ショックを与えるとラットは暗い部屋に入らないようになる。この過程でラットは暗い部屋における電気ショックという恐怖記憶を獲得することになる(図2)。

図2 恐怖条件付け(Inhibitory avoidance task) *3 参照
掲載論文
"A cholinergic trigger drives learning-induced plasticity at hippocampal synapses”
Dai Mitsushima, Akane Sano, Takuya Takahashi
Nature Communications 12 Nov 2013|10.1038/ncomms3760 
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