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令和元年度卒業式において     ~卒業生へ贈る言葉~

2020.03.25
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巣立つ諸君へ贈るはなむけの言葉

「自分の可能性を信じて」

シンガポール国立大学・教授 須田年生



1949 年生まれ。1974 年横浜市立大学医学部卒業後、神奈川県立こども医療センター、自治医科大学で、白血病・造血研究を開始し、熊本大学、慶應義塾大学医学部教授を経て、現職にて、幹細胞研究を続行。



 皆さん、卒業おめでとうございます。

 新型コロナウイルス拡散予防のため、令和元年度の卒業式が執り行われなかったのは、残念なことですが、ある意味、記憶に残る春になりました。

 先ずは自己紹介から始めます。私は、滋賀県で生まれ、兵庫滋賀、横浜と転校を繰り返しました。転校生として場所を変えることはなかなかのストレスで、反復するうちにそれに耐える適応力を身につけたと思います。転校癖がついたせいか、横浜市立大学卒業後も、神奈川県立こども医療センター、自治医科大学(サウスカロライナ医科大学留学)、熊本大学、慶應義塾大学とほぼ10年ごとに異動し、そして今はシンガポール国立大学で造血研究を続けています。ときどき、住所不定の自分は、「寅さん」のようだと思うことがあります。妹(サクラという名ではありませんが)から、「お兄ちゃん、今どこにいるのよ?」と聞かれるとなおさらです。

 振り返ってみれば、私は40年以上、研究と教育の職にあることになります。かくも長く研究の場にいられることは幸運です。私のしてきた研究は、「造血幹細胞と微小環境」の解析です。自覚している人はいませんが、骨髄では赤血球が1日に約2000億個も造られています。その供給源が造血幹細胞(Hematopoietic StemCell)と言われるものです。血液細胞には赤血球のほか白血球や血小板などいろいろな種類がありますが、造血幹細胞は、こういったあらゆる種類の血液細胞の源です。幹細胞は自律的に赤血球や白血球を造るだけでなく、周りにあるいろいろな細胞や因子の影響を受け、血液細胞の産生を調整しています。つまり、幹細胞は一人で生きているわけではなく、周りとクロストークしながら、時にストレスに耐え、「造血」という生命に欠かすことのない機能を担っているのです。その恒常性が破綻すると、白血病などの造血障害が起きます。私は、造血幹細胞の精緻で持続的な制御機構に魅せられ、ずっと研究してきました。

 私の研究領域で、造血幹細胞が環境に対応するシステムを「Resilience(レジリエンス)」と言います。台風19号や東日本大震災といった大規模災害の被災者が、被害から立ち直って復興に向かう上でもレジリエンスが重要だと言われます。この、レジリエンスが今日のキーワードです。

 幹細胞と取り巻く環境の相互作用を、個人と環境に当てはめることができます。2006年に山中伸弥教授がiPS 細胞を樹立されました。iPS細胞は多能性幹細胞です。多能性とは、多くの分化能力をもつという意味です。すなわち、血液細胞にでも、神経細胞にでも分化する能力を有しているということです。本日、大学を巣立たれる諸君は、まだまだ多能性幹細胞の状態です。何にでもなれるのです。しかし、周りの環境に影響されて、自分の運命が決定していくので、自分の力や意思だけでは思う通りにはなれないと感じるかもしれません。しかし、その環境を選ぶのも自分、もっと言えば、自分にふさわしい環境を作るのも、これまた自分の意思であり、願望なのです。

 小環境としては家族、友人、恩師がいて、大環境としては自然、社会、時代があり、さらに頭の中には、読書やドラマ、漫画で知りえた人物や、想像上、歴史上の人物があります。これらの外界が、自分の中に取り込まれていきます。体の細胞は、常に新陳代謝して新しく生まれ変わりながら動的平衡を保っています。自分という器も似ています。自分の中で、中身は常に入れ変わっていきます。それは、自分の記憶をたどれば明白です。記憶は不安定なものですが、小学生時代の自分と、中学・高校生時代の自分、そして、今の自分は、ほんとうにつながっているかと思うほどに変化しています。

 ちょっと話がそれるのですが、これは、一冊の本を繰り返し読んでみるとよくわかります。僕は、柴田翔の「されどわれらが日々—」を、この横浜市立大学の図書館で読んだ日のことを今でも忘れません。「こんな学生時代がありうるのか」と思いました。それを10年ごとに読み直していると、傍線を引く箇所が変化することに気づきます。皆さんもぜひ、学生時代に読んだ本を、10年後や20年後に読み返してみて下さい。そうすることで、自分という器のなかで変化するものと、しないものがあることを知ることができます。

 さて、今日のキーワードに話を戻し、レジリエンスという舌を噛みそうな言葉にふれます。この言葉は、単なる回復力というよりは、もっと広くて、有事(特に困難)に備え、しなやかに対応する力です。レジリエンスを強化するにはどうしたらいいのでしょうか?第一には、危機の予知能力です。常に、うまくいく場合だけでなく、悪いシナリオもあると想像力を働かせて考え、備えることは重要です。また、常に五感を研ぎ澄ましていることも大切です。

 第二に、個人のマインドセットとしては分けられない「個人In—dividual 」というものを、あえて「こころ」と「からだ」に分けて考えてみるのは有用です。心の状態が体に影響する、身体が心に影響するというのは自明のことです。私は、癌で手術を受けたことがあります。癌(体)が鬱(心)を起こす、鬱が、また体を損ねる、というのを体感しました。体の痛みを感じるのは、脳/心です。手術後、痛みがあれば、自分で点滴の栓を緩めて、鎮痛剤を入れることができます。しかし、痛がっているのはもう一人の自分で、ほんとうの自分はこれくらいの痛みに耐えられると考えることで、鎮痛剤の量を減らすことができました。もう一人の自分から、内省する自分が見えてきます。フロイトは精神活動を本能、自我、超自我に分けました。同様の発想で、欲望する自分、現在の自分、ありうべき自分というような思考ができれば、困難に際し、冷静に対応できるではないかと思います。

 第三に、こうしたレジリエンス力を高めるには、逆説的ですが、幼い時から危険を回避してばかりではだめかもしれません。一つの環境に棲みつくことも豊かな人生ですが、いろいろと環境を変えて適応していく機会をもつことも重要です。ゆえに、特に若いときは、旅や留学が勧められるのだと思います。見知らぬ人や文化に出会うことにより、戸惑う中でレジリエンス力が鍛えられていきます。

 第四に、幅広い適応力をもつためには、自分をことさら狭く規定しないことだと思います。理系、文系と分けて考えることが、そもそも、ひとの思考を決めつけています。我が国では、教育の効率上からか、高校時代から理系・文系にコースが分かれます。数学が得意だから理系、国語が好きだから文系というのは、あまりに貧困な発想です。理系の科学技術のあり方、例えば原子力発電、あるいは生殖医療、あるいは感染症の予防、を評価できるのは、社会です。文系の哲学・倫理に根拠を与えるのは、論理です。これが20世紀には、切り離されてきました。21世紀は、科学と社会が再度対話する時代です。個人のレベルで考えても、自分が文系的と思う人は思い切り理系の訓練をする、理系と思う人は文系の勉強をする。このことによって、一段、ものの見方が変わると思います。「自分はこんなものだ」と安易に妥協しないで、「自分次第でどうにでもなるんだ」と思い続けることで、適応力・回復力が増すと思います。
 
 このように個人としてのレジリエンスを考えてくると、私はふと、環境を変えながら、その変化に応じて、一生、造血を維持する幹細胞に思いを馳せます。そして、環境変化をいかに感じるか、また、その感受性をどう磨くということが大事に見えてきます。最後に私の好きな、茨木のり子さん詩をはなむけの言葉にしたいと思います。

「自分の感受性くらい」

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

茨木のり子 詩集「自分の感受性ぐらい」(1977刊)所収
「現代詩文庫」思潮社にも収録

ばかものよ!で終わっては失礼なので、もう一言だけ。大学卒業は、いよいよ巣を離れ、飛び立つようなものです。自分の可能性と感受性を信じて、たえず、自分への「水やり」を怠らないで下さい。巣立っていく横浜市大の卒業生に幸多からんことを祈ります。
 
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