vol.7 社会学的な想像力で多文化共生社会の可能性を探ります
 国際総合科学群 多文化社会論 准教授 滝田 祥子(たきた・さちこ) vol.7 社会学的な想像力で多文化共生社会の可能性を探ります
 国際総合科学群 多文化社会論 准教授 滝田 祥子(たきた・さちこ)

過去から未来につながる記憶が、多文化共生の重要課題

少数者の立場から、グローバルな課題をとらえなおす

滝田 祥子(たきた・さちこ)
国際総合科学群 多文化社会論 准教授
  • (学部)国際総合科学部 国際教養学系 社会関係論コース
  • (大学院)都市社会文化研究科 都市社会文化専攻
国境をはじめとする様々な境界を越えた人びとの生活世界を、社会学的フィールドワークやインタビュー等の「対話」の手法で明らかにし、多文化共生社会の可能性を研究している。ヨコハマ国際まちづくり推進委員会の委員をつとめたり、市内のNPOと協同してフューチャーセッションを開催するなど、学問的な知と現実世界を結びつけていくことを大切にしている。

 私の専門分野は、広い意味での社会学です。社会学の学問領域は幅広く、多角的な視点から「多文化共生」という現象をとらえるように心がけています。
 グローバル化が進む世界情勢の中で、生活習慣や価値観などの異なる人々がお互いの立場を認め合い、変わり合い、支え合いながら生きていく「多文化共生」という人間同士のつながり方は、持続可能な地球の未来を考えるうえで無視できないテーマです。日本社会でも、これまでのような在日韓国・朝鮮人やアイヌ民族などの人々だけではなく、世界のいろいろな地域から移り住んでくる人びとが増えています。このため、様々な文化が共に育み合える社会について、みんなが考えなければならない状況にあるのです。
 私の研究は、国民国家という枠組で語られることの多かった歴史を、エスニック・マイノリティーの立場からとらえ直すことで、「国境を越えた人の移動」というグローバルな現象が現代社会において抱える様々な問題を分析することです。
 その中でも、第二次世界大戦中に行なわれた日系アメリカ人の強制収容に関する集合的記憶[Keyword 1]は、私がずっと取り組んできたテーマの一つです。アメリカ合衆国の公文書館や図書館所蔵の資料、個人所有の日記などを可能な限り収集し、当時収容されていた日系人の方々へのインタビューも行なってきました。強制収容体験者本人とその家族とともにツーリレイクという隔離収容所の跡地を訪ねる巡礼の旅の企画運営も20年近く続けています。今でも、毎回300名程がこの旅に参加しています。記録に残された資料と個人の「記憶」を照らし合わせることで、過去の出来事や現象を人々がどう記憶し、現在から未来へどのように伝えられていくのかが見えてきます。個人の体験が記憶となり、共有され、歴史となり、過去から未来へつながる<今—ここ>での判断や行動に結びついていく、そのメカニズムを明らかにしていくことが目的です。
 世界各地で起こった差別や戦争、そしてそれらに対する補償問題などを見てもわかるように、多文化共生にとって鍵となる問題が、人々の「集合的記憶」なのです。

[Keyword 1]集合的記憶
民族や社会集団といった、共通のバックグラウンドを持つ人々によって共有されている、過去の出来事などについての記憶。フランスの社会学者モーリス・アルブヴァクスが提唱した。

小さな「違和感」から始まった、私の研究の道筋

 私は研究でよく、「オーラルヒストリー」というアプローチを用いています。日本語では「口述記録」などと訳されており、関係者に直接インタビューして、聞き取った話をまとめる手法です。対面状況の中で発せられる言葉だけではなく、沈黙や感情の浮き沈みなどから、文字の記録だけでは得られなかった、膨大な情報を知ることができます。
 授業ではこのようなインタビューの実習を兼ねて、「あなたのことを教えてください」と学生に言うことがあります。学生に自身のことを話してもらうのですが、今回は、この場をお借りして私の半生を語りたいと思います。というのは、過去に学んだことや面白いと思った様々なことが、現在の私につながる一つの道筋になっているからです。
 私が9歳、小学校3年生のある日のことでした。家の近所に私が1人でいると、「一緒に遊ぼう」と誘われて遊び相手になってくれる子がいました。ところが、自分の親から「あの子は外国人だから遊んだらダメ」と言われたのです。
 「何でダメなの? おかしいよ」と、9歳の私は思いました。その子自身のことを何も知らないのに、ある属性を持った集団の一員だから「遊ぶな」と言われることが、論理的にわからなかったし、直感的に間違っていると感じたのです。
 子供ながらに感じたその時の小さな「違和感」は、今になって考えると、私にとって研究の原点でした。その後の人生でも、違和感は常に新しい道を開くきっかけでした。「もやもや」したその気持を忘れず、それが「そもそも」どんな原因で引き起こされたのかを深く考えていく習性を積み重ねてきた結果が、現在の私なのかもしれません。