vol.7 社会学的な想像力で多文化共生社会の可能性を探ります
 国際総合科学群 多文化社会論 准教授 滝田 祥子(たきた・さちこ) vol.7 社会学的な想像力で多文化共生社会の可能性を探ります
 国際総合科学群 多文化社会論 准教授 滝田 祥子(たきた・さちこ)

個人と集団に関する問題意識が、研究へと広がった

「私」ではなく、グループの代表として見られる現実

 子供の頃の話ですが、私の母はよく「人と違うことをしなさい」と言う人でした。 たとえば、私が幼稚園の時に服を買いに行って、ピンクの可愛いワンピースを選んだら、「あなたは周りのみんなが着ているから、それが欲しいと思っているんじゃないの?」と母に言われて、好きな色である青のスカートを選び直したことは、今でも記憶に残っています。小学生の頃には、 母は私の遠足のおにぎりにピーナッツを入れたり、友達にケーキを用意する際に、当時はまだ珍しかった抹茶ケーキを買ってきたりしました。
 こうした環境に育ったことで私は、自分と他者、個人と集団の関係について、問題意識を持つようになったのかもしれません。高校生のとき、私の通っていた高校には卒業論文があって、私はレーガンが選出されたアメリカ大統領選挙の結果を分析しました。たまたま最近自宅の整理をしてその論文を読み返す機会があったのですが、群集心理や投票行動は自分の信念に基づくのか他人に合わせるのかなど、社会学で用いられるような考え方に当時から興味があったことが想像できる論文でした。
 大学に入って、再び違和感を覚える出来事がありました。先進国と途上国の経済格差や情報格差などの「南北問題」に関心があった私は、国際学生会議に参加しました。会議では各国から集まった学生が発表や交流を行うのですが、学生同士のディスカッションが進むと、日本の戦争責任といった難しいテーマにまで話題が及びます。そこでアジアの学生から「日本人はどう考えるの?」と質問されたのです。
 私は「我々日本人は~」と答えることはできませんでした。個人として参加したのであって、自分が日本人の代表であるかのようには話せません。違う国の人が集まると何かのグループの代表になってしまい、一人の「滝田祥子」として私を見てもらえない。そのことに違和感があったのです。

アメリカで学んだ「エスノメソドロジー」の手法

 学部では、人が受け取る情報の格差や意思決定の方法などのメカニズムを明らかにしていくコミュニケーションの科学を社会心理学分野を専攻して学びました。その後大学院で国際関係論を専攻し、個人の行動と国家間関係がどのように連動しているのかということを明らかにするために、その当時増え始めてきた日本への留学生をテーマに修士論文を書きました。しかし、社会心理学や国際関係論を学んでも、私が疑問に思ってきた個人と集団、そのなかでも、国家との関係を明らかにすることに限界を感じていました。そこで、本格的に勉強したいと思ったのが、 アメリカの社会学で研究の進んでいたエスニシティーに関する分野です。当時日本ではこの分野についての研究者がほとんどいませんでしたので、私は留学することを決めました。
 アメリカに行ってショックだったのが、ある社会学の教官に研究上の悩みを相談したら、「サチコ、それは君の仲間がいるリトルトーキョー(ロサンゼルスの日本人街)に行けば解決するよ」と言われたことです。決して差別ではないのですが、日系アメリカ人という「カテゴリー」として自分が扱われ、私個人が抱える疑問が固有の関係性や経験,知的関心から成り立つことを理解してもらえなかったことに、ここでも違和感を持ったのでした。
 私が進んだアメリカの大学院の社会学分野は、「現象学」「フィールドワーク」「エスノメソドロジー」などでした。「エスノメソドロジー」とは、普段「当たり前」だと思って無意識のうちに行動している人にとっての、その「当たり前」がどのようなものであるかを解明するために、行動のパターンの細かな観察などを行なう手法です。私も、会話の分析やフィールドワークのほか、スーパーマーケットで15分ほど観察して、どんな外見の人がどんな振る舞いをしたかについて10枚程度のレポートを提出したり、自分の目で観察しノートにまとめた光景とビデオで録画した映像を比較したりするなど、人びとの行動の細部にまで自らの感覚を研ぎすまして徹底して注意を払う厳しい訓練を受けました。
 そこで鍛えられた手法は、日系人の強制収容所体験の聞き取り調査など多くの研究で役立ってきました。そして、アメリカや日本でのフィールドワークなどを重ね、現在に至るわけです。