vol.6 中国というフィールドからグローバルな問題を考えていきます 国際総合科学群 アジア地域論 教授 小野寺 淳(おのでら・じゅん) vol.6 中国というフィールドからグローバルな問題を考えていきます 国際総合科学群 アジア地域論 教授 小野寺 淳(
おのでら・じゅん)

変わり続ける中国を観察するのは面白い

中国を研究し続ける覚悟を決めた大学院時代

 物心ついた頃から私は、中国という国に興味を抱いていました。小学校低学年の時には日中の国交が正常化(1972年)し、友好のしるしとして中国政府からパンダが贈られるなど、中国への関心が社会的に高まっていました。私もパンダがデザインされた鉛筆を使っていた記憶があります。テレビで流れる中国の光景を見ながら、地図では海のすぐ向こうにある近くの国なのに、自分たちとまったく違う文化や生活があることに好奇心をかき立てられました。高校生の頃には、中国語の初歩的なテキストを読み始めていました。
 また、それとは別に、地理(学)というものへの興味も抱いていました。いろんな場所へ行ったり旅行をしたりするのが好きで、様々な景色を目にしているうちに、都市や地域というものについて子供なりに意識し始めたのだと思います。地理学と中国という二つの興味が重なったところに、私の研究の方向は定まっていきました。
 大学院の修士課程に進んだ1989年の6月、北京で民主化を求めるデモ隊と人民解放軍との衝突、いわゆる天安門事件が起こります。混乱した情勢にある中国で、果たしてフィールドワークに基いた研究などできるのかと、不安になりました。それでも私はその年の夏には中国へ渡航していました。大変な時であることはわかっていましたが、長いスパンで中国のいろいろな状況と向き合っていこうと、チャイナ・ウォッチャーとしての覚悟を決めたのです。


相手の国や地域を理解することは、自分を考えるきっかけに

 その後1992年から香港大学に留学し、香港返還[Keyword 2]の直前まで滞在していたことは貴重な経験でした。授業は英語で、調査は北京語で、買物は広東語で、というややこしい生活でしたが、中国人だけでなく欧米や東南・南アジアなどからの多様な人々が行き交う社会の活気や、返還を前にした人々の期待や不安を、肌で感じることができました。その後も香港はどんどんと変化し続けており、依然としてとても興味深い場所です。
 中国の変化のスピードは加速しています。私が博士論文で研究した広東省のフィールドも、訪れるたびに変化しています。調査を始めた頃にはまだ畑が広がっていたのですが、ほこりが舞い上がる中で工場が次々に建設され、出稼ぎ労働者の宿舎が建ち、さらには商店が並んで街ができあがっていきました。その後まもなく世界的に有名なハンバーガーチェーンの看板が目立つほどになりました。最近訪れた時には、なんと地下鉄が開通していました。
 この仕事をしていると、「中国は将来どうなるのですか」という質問を受けることがよくあります。未来を予言することなど私にはできせんが、日本にいる私たちとの交流がますます盛んになるだろうということは想像できます。人の流れや、お金、モノ、情報がもっと活発に行き来するだけではなく、お互いの価値観の対抗や融合といったことも継起することでしょう。
 絶え間なく変わり続ける中国を観察するのは、とても面白いことです。私はこれからも、アジアそして中国の人々とお互いの理解を深めていきたいと考えています。意見を交換したり議論したりして相手の国や地域を理解することは、ひるがえっては自分の住む国や地域を考えるということにもつながるのです。

[Keyword 2]香港返還
中国の特別行政区である香港は、約150年の間イギリスの植民地だったという歴史があり、1997年7月1日に中国へと主権が返還された。返還に至る二国間交渉によって、中国という一つの国にはなるけれども、社会主義と資本主義の二つの制度が大陸と香港で共存するという「一国二制度」が実施されることになった。