松本郁代先生写真

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国際総合科学部 国際教養学系 国際文化コース 准教授

松本郁代(まつもといくよ)Ikuyo Matsumoto

偽文書や仮託書から、歴史の地平を知る

記された事実よりも、どのような事実としてあるのか?

松本郁代先生 インタビュー写真1

学部生以来研究テーマとしてきたのが、即位儀礼にみる中世の王権と仏教との関係でした。用語の意味としての「王権」については様々な議論がなされていますが、中世では天皇の「王権」を仏教が作り出し、天皇の正統性として機能していた側面があるのです。それは仏教の正統性でもあると言えるのですが、中世の少なくとも前半までは、寺院は社会や国家を左右する権力主体でしたので、天皇と仏教の関わりを追究することは、中世の王権を権威とする文化形成のあり方の研究にもつながりました。

天皇の皇位継承に密教儀式である即位灌頂(そくいかんじょう)が登場したのは平安時代中期の後三条天皇といわれ、恒例化したのは鎌倉時代後半の伏見天皇の即位以降とされています。これは新しく即位する天皇に摂関家から印と真言が伝授され、天皇は高御座で印を結び真言を唱える所作を行うというものでした。当時、真言密教の至高尊である大日如来と皇祖神である天照大神は同体として考えられていたため、天皇が即位の場でこれを修すことは、王権を密教的世界に位置づける象徴的な儀式となりました。しかしわからないことだらけです。即位灌頂とはどのような理念なのか、言説から理念を探すうちにテキストに一つの形式的なものが見えてきました。それは即位灌頂の作者や担い手が空海(Keyword-2)に仮託されているということでした。仮託ということは本当の作者や担い手ではないということですから、そのテキスト自体も結局は「偽」ということになります。即位灌頂の宗教的理念はそのような種類のテキストにたくさん登場していました。

歴史学は史実を明らかにする学問ですから、偽書や仮託書をそのまま史料とすることはできません。問題は「偽」という判断の価値基準はいつされたのか、テキスト成立当初は「偽」ではなく機能していたのではないか。中世になぜ古代の空海に仮託するような言説が膨大に作られたのか、そのような疑問をもちながら、次第に中世に「空海仮託書」というような言説群を作り出す真言密教の権力的な側面が見えてきたのです。その言説の一端が即位灌頂という王権を正統化する理念でした。仮託という方法によって、古代的な権力を中世に権威化するメカニズムを読み取ることができます。そうなってくると今まで歴史学研究から除外されてきた偽書や偽文書が宝の山となるわけです。また文学研究や宗教や思想史研究とも関連し合う、中世文化を捉える広い地平が見えてきます。

史料から事実だけを拾おうとすると、その全体像はなかなか見えてきません。史料の中で事実がどのように描かれているのか、テキストに耳を傾けその意図と背景を含めて読み取ることが、豊かな中世における文化形成を読み解く鍵があるように思えます。

日本の文化形成に根ざす秘密主義

松本郁代先生 インタビュー写真2

仮託や偽書など、明らかに事実と矛盾する言説群がなぜ中世に流行したのかを追究していくと、秘密を装うというスタイルが見えてきます。天皇の即位灌頂や大嘗祭など即位儀礼の方法にかかわるテキストには、「秘説」「秘伝」として内容を記さない、あるいは内容の唯一性を高めるための表現が頻出します。もともとこれらの教えは「口伝」といって、師から弟子へ口で伝えられていたのですが、次第に教えが文字として書き残されるようになり、それが伝えられるようになった、というプロセスを経て出来上がるものです。文字で記録に残すということは、それだけ多くの人目に触れる可能性をもっていますから、核心部分は秘密の事柄ですよ、ということを一々書く必要があったのです。そのようにして「秘伝」という一つの権威が確立され、教えの相伝や継承の唯一性や正統性が形成されていきました。またそれらは偽書や仮託書に分類されるものも多くありました。

今、研究しているのは即位灌頂や大嘗祭に関する文献以外で秘説がどのような場面に登場するのか、という問題です。

中世の後半頃になると、秘説はそれ自体が秘説としての意味をなすというよりは、秘説としての内容を構成する権威や正統性を背景に構築されていく傾向がみえてきます。言葉や文章として意味をなさない「荒唐無稽」なテキストが注釈書や儀礼書として登場し、それらの秘説の根拠に、天皇の皇位継承に関する秘説が多く用いられています。この意味を読み解くことは、日本文化の相伝を考える上でも重要な問題であると思います。

仏教的世界が作った王権の正統性が天皇のみならず、天皇を起源や起点として中世に作り出された伝承や制度の正統性をも説明するようになり、それまで正統性をもっていなかった職業や身分、文化などを保証するルーツになるのですから、社会的に大きなうねりを作り出すような意義をもっていたのではないかと思います。秘密というのは日常的な問題ではありませんが、現在とは全く異なる価値観から捉えてみると、歴史の思わぬ側面が見えてくるかも知れません。

日本の中世は、古代の権威的な価値観を認識しながら無化するような、独自の思想や文学等がアモルファスに広がり、現在まで続いている伝承や芸能の起源や起点となっていることに、歴史の持つ生命力といったものを感じます。江戸時代の西洋ブームが熱狂的な知的好奇心に根ざした知性だとすると、中世のそれは体系的な知性を求めたのではなく、体系的ではない知識のバラエティーが膨大に作られたといえるのではないでしょうか。中世における秘説がどのような力学関係を形成しながら展開していったのか、その意味と仕組みをさらに追究することが、今後の私の研究課題でもあります。

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空海は、平安時代の僧であり、弘法大師としても知られる。遣唐使として中国から戻った空海は日本に真言密教をもたらしたが、中国で恵果和尚から密教の奥義を伝授されるとともに、伝法阿闍梨位の灌頂を受け、大日如来を意味する遍照金剛(へんじょうこんごう)という灌頂名を与えられた。日本に帰国後真言宗を開いた。

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