NOBUHARU SUZUKI & RIKEN YAMAMOTO Seminar02 NOBUHARU SUZUKI & RIKEN YAMAMOTO Seminar02

研究セミナー特集

Seminar02 「開かれた大学と地域社会圏」 YCUスクエアの設計者と語る超高齢社会のまちづくり

開催日 / 2016年7月12日(火) pm6:00〜7:30
開催場所 / 横浜市立大学 金沢八景キャンパス YCUスクエア 1階ピオニーホール
講演 / 鈴木 伸治 研究科長 教授
ゲスト / 山本 理顕氏(建築家 横浜国立大学客員教授)

3. ゲストスピーカー 山本 理顕氏と鈴木教授による対談

対談 山本 理顕 X 鈴木伸治
対談 山本 理顕 X 鈴木伸治

都市計画と大学の果たす役割

【鈴木】

それでは、再び山本先生にご登場いただきましたので、ディスカッションしたいと思います。先ほど山本先生のお話で【地域社会圏】という考え方と、具体的なまちづくりのユニークなアイデアをいただきました。これについて、私の感想というか、都市計画の立場から見たコメントをさせてもらおうと思います。

都市計画というものは、大正8年に旧都市計画法というのが生まれたときに誕生したとされています。実はこの同じ年に生まれた組織があります。私はこれを非常に象徴的だなと思ったのですが、東京サラリーメンズユニオンというのが、この年にできてるんですね。つまり社会の中で、サラリーマンという層が、社会的に認知された頃がちょうど日本においては都市計画の草創期なわけです。空間的なことで言えば丸の内のオフィス街というのが空間的モデルになっていて、それを実際につくるためにはどういう法規をつくったらいいか、とそのような作業をしていたんですね。

また、ある意味では、空間というものが法制度っていうのを作ってきたという側面もあります。また、例えば公団の標準的な住宅タイプ、51C型といいますが、これはその当時の庶民の住まい方というのを研究した上で、食寝分離というかたちで提案された住宅タイプです。それが普及して、いまのnLDKといった住宅のプロトタイプになったわけです。こうしたことが、住まい方の研究の中から生まれて来たんですが、それが制度化されていくと、似たような空間を再生産していくようになっていくと言うことだと思います。そういった面でいうと、山本さんの「地域社会圏」というのは、そこの社会そのものをまず、構想し直すというところからスタートしていますね。こうした姿勢は我々も見習わなければならないというふうに改めて思いました。

学生のみなさんへのメッセージでもあるのですが、例えば住宅のデベロッパーに就職したとしたらあたりまえの住宅を無批判に作ってしまう可能性があるわけですよね。また、不動産系の会社に入れば、そういったものを普通に扱う立場になる。あるいは役所に入れば都市計画法であるとか、そうした法律を当然のように守ろうとする立場になると思うんですけれども、そうした時にその法律は何のためにあるんだろうか、あるいは元々、そのnLDKっていうのは何を実現しようとしていたのか、という原点の部分というのを理解せずに無批判に受け入れてしまう可能性があります。最近は戸建ての住宅の中で、住み開きというかたちで住宅をオープンにして、いろいろな人が集まって来るコミュニティーカフェのようなものをやる人が増えてきてるのですが、学生写真1これが第一種低層住居専用地域だった場合に、法令に違反して活動してるという指摘を受けています。つまりコミュニティーのためにプラスと思われるものでも、社会や制度がそれを受け付けないような状況というのが生じるわけです。そういったことを、我々はもう一度認識しなければいけないのかなというふうにも思います。

また、大学というのも社会の一員であり、ある種制度でつくられている空間なわけですね。大学というものの中では、大学で授業を受けて単位を取って卒業する、で、人材育成をしますということが、あるルーティンワークになっていて、それに合わせた空間というのがつくられているわけです。そういう意味では、今回YCUスクエアの中で、大学のシンボルになる空間は何かと言ったときに、学生の活動であるという山本さんのご提案っていうのは、非常に我々としても、ハッとさせられるものがあったと。つまり、大学というと、どちらかというと時計塔だとか、何かシンボリックな象徴的なかたちを求めがちですが、実はそうではない、という提案であったわけです。だから、そういったことも踏まえて山本さんが、これからの地域社会において大学が果たすべき役割というのを、どのように考えながら構想されたのか、そこから少し、お話を拡げていけたらな、と思います。

学生写真1

施設化の功罪について

【山本】

大学のつくられ方そのものが、例えばヨーロッパの大学ですと街に帰属していたりしていますね。ヴェネチア大学などは典型的だと思いますが、小さな都市、あるいは都市国家に小さな大学があって、そこは本当に街の人たちの大学のようになっています。門が無くて学生達もそのまま広い通りにでて、そこで学生たちがお祭りなどでは騒いだりしてるわけです。街と大学というのが、ほとんど一体化しているわけです。もちろん海外の大学が全てそういう訳ではありませんが、日本の大学のつくられ方というのは、明治以降につくられたもので、基本的には現在の文部科学省が制度を決めるわけです。

当然、日本では大学というのは、小学校、中学校、高校と、その上にあって、教育のためにあるものとされます。街がどうこうということではなく、どうやって学生達を教育するかが中心になります。そうした制度のもとでは、確かに優秀な学生になるけれど、皆が同じように勉強をして、同じように卒業し、できるだけいい会社に勤めたいとなり、創造性には欠けるのかもしれません。

日本では、大学に限らずすべての施設がそういう傾向にあります。僕はそれを施設化と呼んでいます。住宅も同じように施設化されていって、皆が同じような家族を形成するわけですね。こうした日本の住宅のモデルは1951年に作られたと言われています。国民住宅といいますが、当時ヨーロッパでつくられていた住宅が元になって、ソ連の住宅の影響も受けていたはずです。

1950年代にはサラリーマン人口が爆発的に増え、各地に団地ができたわけですが、そこで初めて自分たちのプライバシーを手に入れたと思った人たちがたくさんいたんだと思います。そうした意識が、セキュリティの整った現代のマンションブームにつながり、結果として人と人の関係性が希薄になってしまったと、そういった側面はありますよね。ですから、そういう意味では、これからの大学というのは、街ともっと関わりあって、地域の人間同士の関わりを広げる拠点になって欲しいと思います。

それと、先ほどの鈴木先生のお話の中で、丸の内のオフィス街の成り立ちの話は面白かったですね。制度がつくられたときに、実は空間が先にあったんですね。

【鈴木】

そうです。当時一番先進的な街として、丸の内をイメージして法律をつくろうとしたわけです。それは日の目を見なかったのですが、それが焼き直されて旧都市計画法、市街地建築物法という法律になっていくんですね。ですから理想としての都市空間というのが先にあったんです。なんですが、残念ながらその法律だけを読んでいても、理想的な空間のイメージは持てないんですね。

【山本】

そうですね、空間が先にあるっていうのは、正しいと思いますよ。

例えば、このYCUスクエアのこういう空間って、今までどこにもなかったですよね。誰かに教わったわけでもないし。

さっき検討した条件から、こういうかたちは生まれて来ません。こういう空間が先にあって、で、これはじゃあ、どうやって使っていくんだろうっことを、多分みなさんが話していくんだと思います。つまり、空間っていうのは、そういうかたちで私の考え方を、逆につくっていくといった役割があるわけですね。空間があることによって、我々の様々なアクティビティーっていうか、クリエイティビティーっていうか、そういうものがつくられていく。

もっと極端なことを言うと、住宅っていう器があって、家族はそこでどういう生活をしたらいいか、わかるわけですよ。51Cというのは、二つの寝室と、小さいLDK、ダイニングキッチン、2DKですね、これが最初でした。そこでは、2つの寝室は一方は子ども部屋、一方は夫婦の寝室、それでDKがあってそこでご飯食べるという食寝分離ですね。それまでは茶の間があって、茶の間のちゃぶ台を片付けて、そこにふとんを敷いて寝てたわけですよ。それが、それまでの住宅のつくられ方なんです。それが封建的だということで、51Cのような住宅になったわけです。

少し前まで、田舎ではそういう座敷があって、何かお祝い事があると、その座敷を使ったりしたんですよね。どんな小さい家にも座敷があった。そこはお父さんが主に使う場所です。お父さんがお客さんと一緒に使う。茶の間は子どもたちとお母さん。茶の間と座敷に分かれてたんです。それを食寝分離では、寝室とDKに分けた。実はすごい革命的なことなんです。寝室とDKに分け、そして座敷がなくなったんですよね。それが当時の、51Cの新しいところだったんです。

ところがその住宅が、一方で非常に施設化されたものになってしまう。

ある標準化された家族をつくるのには非常に役立ったんです。みんな子どもが生まれたっていうのは、そういう家だったわけです。セキュリティーが完璧にできていて、プライバシーも完璧。そういう標準化された家族、プライバシーとセキュリティーの内側に住む人たちが家族となり、周りの家と関わらなくていいんだということをその頃に意識したんです。

その前の時代までは、先ほど話に出た町家みたいなところでは、隣りではお店をやっているといった世界です。私が子どもの頃は、隣が店の前の掃除をはじめるといっしょになって掃除をしたんですよ。それが当然で、自分の家の前だけじゃない。そういうふうに、仕事をしたり商売していると、ある種コミュニケーションがあるんですが、こういう51C的な住宅、団地や県営住宅や市営住宅が一気にできてくるとそうではなくなりますよね。ここではプライバシーとセキュリティーがあって、私たちも守るんだ、私たちはここに守られているんだという意識が、そこに発生してきます。

いずれにしても、空間が先か制度が先かっていうと、空間の方が先にあって、アクティビティーがそこで培われていくんです。我々の考え方自体もそうです。家族がプライバシーの中にあるんだって、みんな思ってるでしょ? それは住宅のつくられ方によってできているわけ。僕もそうです。いま都市計画の話をしてましたけど、同じように、制度があっても理想の空間は見えない。でも空間があれば、どのように使うか逆にわかる。その関係をずっと誤解していて、いまになっていると我々は考えているわけです。

【鈴木】

公園なんかでも、ボール遊びしちゃいけないとか、いろいろルールがどんどん出来ていって、ルールを当然というふうに受け入れてしまっているからこそ、公園がどんどん使えなくなってます。空間の中にいろんな規範みたいなものをつくりあげて、それによってどんどん、いろいろな問題を再生産してしまう。ニュータウンの空間が孤立を招きやすいというのもそれだと思います。社会的に壁をつくり、今はどんどん再生産している状況です。じゃあどういうところから打破していこうか、ということになるわけですが、山本さんの、今回のYCUスクエアの建物だと、空間の有りようを提示してそこから突破口を見出すというやり方ですね。例えば郊外住宅地の問題についても、シェアハウスとかいろいろなバリエーションができていますが、そこで何か新しい突破口みたいなものは見えてくるんでしょうか。

【山本】

提案しているものがあるんですけど、ちょっとスケッチを書いたんですが、何かっていうと、専用住宅をお店にしようっていうので、例えば花屋さんにするんだとしたら、看板付けるところをつくる、それから生け垣を撤去しちゃう、これだけで花屋さんてできるでしょ。それでかかる費用が24万円ですとか、あるいはお茶を出す店を出すときに、縁台つくるっていうのと、やっぱりつくるっていうのと、看板が付く、で26万5千円とかですね。20万か30万円で住宅をお店にしちゃおうと。それは、おばあちゃんおじいちゃん2人住まいでも、お茶を出すようにしたら、ちょっと誰か寄ってくれるかもしれない。花屋さんにしても自分のところでつくってる花を売れば、やっぱり近くを通る人が買ってくれるかもしれない。そういったお店が、ぽつんぽつんと住宅地の中にできることで、少しずつ変わるかもしれないですよね。何が変わるかっていうと、その人たちが儲かるかどうかっていうこと以上に、そこでコミュニケーションが成り立つっていうことが重要じゃないかと思います。ところが、今は施設化された住宅なんで、また施設をつくってしまうんですね。高齢者用施設とか子ども用施設とか。

また、高齢者を支える仕組みの高齢化ですね、これは本当に悲劇的なことで、施設をつくるとまたそういうことが起きてくる。だから、そうではなくて、住むところがそのまま働くような場所になっていくことで、お互いコミュニケーションが生まれることが、考え方の中心になるように思います。専用住宅が、これだけたくさんできたのは、ほんとうについ最近のことなんです。社会学者も経済学者もみんな、それを前提として世界・社会を分析しています。今ある住宅、専用住宅があるという前提で。それは我々から言わせると、せいぜい60年前くらいにできた仕組みにすぎないんですね。にもかかわらず社会学者の人たちも、それがあることでそれが壊れたらどうしよう、ということを考える。何かがあること自体を、まず、自明のものとして捉えてしまうという考え方に対して僕は、かなり批判的なんです。それはあくまでも誰かがつくったものなんだ、という風にはあまり考えないんですよね。

そこは何か、鈴木さんのような計画者とは大きな違いがあるように思うんですよね。計画者っていうのは、計画されたものであることを知っていますから。

【鈴木】

先日ちょっと、びっくりしたことがあります。ある団地で空いた空間、空いた住棟の1階部分にコンビニエンスストアをつくれるようにしようという話が出てきたんですけど、確かに用は足せるようになるかもしれないですけれど、社会的な孤立の問題だとか、そういったものに立ち向かおうとしているときにコンビニでは解決しないというふうに思っていて、やはり施設化された空間の中に、それこそ施設化したサプライチェーンの末端であるコンビニという空間を挿入しても、何も起こらないんじゃないかと。

で、そこで考えたのがなぜコンビニなのかと。どうしてコンビニでなくてはいけないのか、それ以外、別に花屋でも構わないでしょうし、カフェでも全然構わないはずなんですけれど、何かそこに、ひとつの制限をつけてしまっているようで、それはよくないのではと思った訳です。

学生写真2

【山本】

今のですが、鈴木先生のように考える人は少数派なんですよ。

【鈴木】

確かにコンビニできるといいなって言う人は多いんですよ。

【山本】

コンビニっていうのは、大きな社会インフラのひとつだと思うんですけども、僕の家、さっき言いましたけど商店街だったんですけれど、もう今や道路拡幅されて、商店街の面影も無くなっちゃいましたが、唯一流行ってるのがコンビニなんですよ。周り、豆腐屋が一軒残ってるだけ。商業施設であるコンビニがあるために、淘汰されてしまうんですよね。唯一豆腐屋が残ってるのは、コンビニの豆腐よりも、そこはめちゃくちゃ旨いからです。さまざまな家業を潰していっちゃうんですよね、コンビニは。なんか衛生的だと思うのかもしれませんけど…。

学生写真2

さまざまな提言を行う

【鈴木】

やはりコンビニ依存した人達は多くいますよね。ただ、コンビニは是非あったほうが良い、って思うかもしれないけれど、コンビニっていうもの自体の存在も、ある意味、非常にネガティプな面も抱えた存在であることを考えた方がいいと思いますね。

【山本】

コンビニって言うのは確かに便利で、それなりに役に立っていますけども、地域社会をつくっていくときに、コンビニを中心とした地域社会って考えられるかどうかという問題ですね。実際、それを考えている人もいますね。先ほどの地域社会圏住宅は、小さなお店みたいなものを想定していますが、そうしたら街全体がコンビニ的になっていくかもしれませんね。ただ、いろいろとコミュニケーションができるだろうなと思いますけどね。確かに難しいところですね。コンビニ問題というのは。

【鈴木】

そうですね、空間がせっかく用意されても、それを例えばコンビニがきっかけとなって、例えば韓国だとコンビニの前で飲んでるんですよね、机置いて。それが当たり前のようになっている。コンビニの前の空間の使いまわしによって、もしかしたら何かが変わるかもしれないですよね。

また、せっかくこのYCUスクエアっていう空間があっても、我々教員や学生が使いこなせなければ、当初イメージした大学のシンボルは学生の活動であるとか、新しい地域にひらかれた大学のイメージっていうのは実現されないかもしれない。

空間に対して、それを使う側とか、使われ方を考える側という存在も、一方で重要なのかなというふうに思います。

【山本】

そうですね。使うっていうときに、私、と、我々なのか、私ひとりが良ければいいのか、それとも他者がいて他者とともにいることが大切なのか、それは他者と会話をして他者から学ぶということもあるし、そういう関係をどこまで大切にできるかというと、大学は最もそういうことを大切にすべき場所だと思うんですよね、他者から学べる。それが大学の最も重要な役割です。

僕は建築学科なので、課題が出たんですね。そうしたとき、隣りのヤツに負けたくないと思う。でも、実は彼らが最大の批評家なんですよ。仲のいい彼らが僕よりいいものをつくるかもしれない、アイデアにしても、なるべく自分が言わないようにして、でも話してるうちに言いたくなっちゃうんですね、どうしても。そうすると、言ったことに対してすごい批判してくるやつがいる、そうするとすごく良いやつだなって感じがするんです。

今、事務所の中でも、お互いに話をしない人間は、一週間くらいコンピュータやってますが、うるさいくらい喋る人間、よく聞いてくる人間の方がやはりはるかに成長が速いですね。そういうことは建築設計をしているとすごくよくわかります。そういうコミュニケーション能力ですね。

大学っていうのは、そう言うコミュニケーションの場所だと思うんですよね。そう考えると、自分のいる場所とか、大学のつくり方っていうのも変わってくると思うんです。他者から同級生やいっしょに学ぶ人から学ぶってことのが大きいと思うんですね。そこがちょっと高校とは違う。僕はそうやって学んできたし、実体験でもあるので、これは自信を持って言えるんです。そういうことができるのが大学で、僕はすごい面白いところだと思いますね。そういうふうに大学の空間自体が出来上がっていかないと、うまくいかないんじやないかな、と思います。

【鈴木】

いかに学生のみんなが使いこなしていくか、というのが大事だと…。

【山本】

それはありますね。ヨーロッパの大学に教えにいったことがあるんですが。夏の間で、みんなで大きなサマースクールをやったりするんですよ。そうするとこちらも仕事を終えて、集まるんですが、みんながメシつくって、ビールだとかシャンパンとか出してくれる。学生たちはそれを飲みながら課題やったり。そういうふうになっていった方が、大学っていいと思ってるんですけどね。

【鈴木】

確かにアメリカの大学なんかでも1階のところに、どこの建物でも大概、サンドイッチだとかそういう、カフェだとかねそういうスペースありますよね。日本はなんかそのあたりの工夫に乏しいかもしれませんね。横浜市大でも、コンビニを誘致してみんな喜んでいる状態なんですけど、本当は、こういう所にカフェをつくった方がいいんじゃないかと思いますね(笑)。

【山本】

ここでカフェつくって、学生たちで自主運営する、なんていうのもいいですよね。そういう、自分たちでこういう活動したいってどんどんアピールをした方がいいですよね。ケータリングでも構わない。例えば障がい者の人たちが、いろいろお弁当つくったりしていますよね、それを売って回ったりしている人たちもいるわけで。そういう人たちを呼んで来て、昼の間でも買えるとか、そういう空間をつくるような、アイデアですよね。どんどん出したらいいと思う。

【鈴木】

かなり時間もオーバーしつつありますので、そろそろ締めさせていただきたいと思うんですけれども、ここにいる人たちは、建築デザインとかではなくて、都市計画だとかまちづくりに興味がある学生が多いわけですね。また、そういう分野に進んで行こうとする学生も多いです、公務員になるっていう人も結構います。そういう人たちに対して、最後に山本さんのほうから、メッセージのようなものをいただければと思います。

【山本】

先ほどの、空間と制度の関係は面白かったんですが…。ここに持っている本にも書いてあることなんですが、制度のことをギリシャ語で「ノモス」と言います。壁とか境界線は「ネメイン」。で、ネメインがノモスだったんです。壁とか境界線を定めるということが法律を定めるってことだったわけです。だから、鈴木先生が先ほど言われた、空間があって、空間に則って制度ができてるということは、まさにその通りで、壁から向こうはあなた、壁からこっちは私の場所っていう、この壁っていうのがネメイン。

空間というのがいかに我々の行動に影響をあたえるか? それで僕は地域社会圏といってある限られた場所の中で自分たちがいろんな関係ができているというふうに考えた方がいいと。つまり今の社会の中では空間的に区切れにくいですよね。都市の中はどこからどこまでが港区といっても線が引いてある訳じゃないからわからないですよね。それでもそういうものは発見的に見ることができると思うんですね。だからそういう関係で、例えば都市や住宅街のある場所をですよ、その空間のその領域制のようなものと全部が生活の仕方と深く関係してるといったように見抜いていって欲しいんです。

これはちょっと理解するのが難しいと思いますが、空間があるから我々の生活が成り立っているという側面は日常的に皆が感じていると思います。家に帰ってきたら帰ってきたという感じがしますよね?

そういう感覚、そういうのが領域制みないなものなんですね。そういうものを大切にしてまちをつくって行くというのは我々も体験していることです。確実にそういう空間というのは人間に影響を与えます。ダメな空間をつくっちゃうとやっぱりダメな関係の空間になって行くんですよ、人と人が仲良くしなくていいような空間ができてしまうわけです。あるいは人と人が少しは親密になれる空間というのも設計できます。そういう形で人間の活動やアクティビティ、作法のようなものが空間と一緒にあるわけです。ここにいる時は皆大声を出したりしませんよね? 皆作法をわきまえてるからですが、同時にそこの空間が皆に作法を命令しているんですよ。そういう作法がどんな空間にも一緒にそこに同居していないとダメなんです。つまり設計というのは作法の設計なんですよね。みんながこれからやろうとしているのはそういうことなんです。ここでどんな作法にしたらいいんだろうか?ということを設計するのが、都市の設計だったりとか、これから皆がやる地域社会の設計なんですね。空間は作法と一緒にできているという事を皆さんにも考えてもらえると都市を考える際に確実に役に立つと思います。

対談ツーショット写真

【鈴木】

ありがとうございます。

都市計画というのは、建築もそうですけど、今ある空間であるとか、今ある都市の仕組みというのは、ある前提を実現するために作られているわけなんですけれども、今我々が直面してるその前提が変わってきていると理解するべきですよね。そこのところを理解すべきで、それをを今日お話しいただいたのだと思います。「地域社会圏」主義という1家族1住宅を前提にしないという発想をはじめ、いろいろと勉強させていただきました。

対談ツーショット写真

セミナー取材にあたって

セミナー写真

 2回目となる今回の研究セミナー、そのメイン講師を務めたのは、研究科長である鈴木伸治教授。そしてゲストに登場したのは著名な建築家でもあり、本学YCUスクエアの設計者でもある山本理顕氏という豪華な顔ぶれでした。
 テーマは「開かれた大学と地域社会圏」というもので、まさに今回の講師陣が語るにふさわしい内容でした。
 山本先生のお話の中に出てくる「地域社会圏」というものは、現代社会が抱える住宅や生活の課題に対して、単に考え方を示しただけではなく、具体的なプランの提示もあり、非常に興味深いものがありました。また、これらのお話は全て鈴木教授によって示された超高齢社会の課題とも密接に関連しており、これからの日本の街づくりというものについて、非常に示唆に富んだ講演であったと思います。

セミナー写真