ナビゲーションをスキップして本文へ
  • English
  • 日本語
  • 簡体中文
  • 繁体中文
  • Korean
  • 通常版
  • テキスト版
  • 交通・キャンパス案内
  • 資料請求
  • お問合せ
  • サイトマップ

研究者検索


ここから本文

HOME > 広報誌whistle > 広報誌whistle vol.22 (2013.10) > 本当の美って何だろう。(1)

本当の美って何だろう。(1)

「化粧」を学問的に研究するとは?

「哲学的化粧論」という一般には聞き慣れない分野の研究をされていらっしゃるそうですが、それはどのような研究なのでしょうか?

学生時代に学んだ哲学(現象学)の物の見方や考え方を応用し、化粧や美容を通じて求められる「美」という価値について研究しています。例えば「化粧は人間にとってどんな意味があるのか」「なぜ目が大きくないと美しくないのか」「なぜ痩せていないと美しくないのか」などです。化粧は起源こそ不明ですが、太古の時代から行われて来た痕跡があり、歴史上、一度も途絶えたことがありません。化粧は男女問わず人類にとって普遍の行為で、長い歴史を持ったひとつの文化です。
ただ、私の言う「化粧」というのは、単にファンデーションや口紅を付けるといったようなメーキャップに限ったものではなく、顔や身体を洗うことから歯磨き、ヒゲや爪の手入れ、エステやボディペインティングまで含みます。つまり「人体を加工することすべて」です。化粧を文化としてとらえる社会的コンセンサスはまだなく、化粧の文化的研究もごくわずかで、哲学的研究はおそらくほかに誰もやっていません。従って私も先入観にとらわれず、「事象そのものを直視する」現象学的手法や、文化研究の諸分野で行われているさまざまな手法を用いて、「化粧」や「美」について日々探究しています。

学問的には、「世界に共通する美の定義」というものはあるのでしょうか?

哲学・美学において、美の定義は永遠のテーマになっています。歴史上、いくつかの見解はありますが、結論としての定義はありません。ただし、社会には「美人」の定義の一つとして「色白」があります。これは人種や地域を問わず共通性があります。特に日本では、奈良時代に編纂された『日本書紀』に素肌美が書かれているほど古い美意識です。日本人が言う「色白」は、「しわ」や「シミ」のような汚点のない肌を表し、きめが整い、潤いのある理想的な肌の要素すべてを「色白」という一言で表現する伝統があります。ちなみに「美白」という言葉は日本で作られたもので、韓国や中国など近隣諸国でも通じる言葉なんですよ。

そうだったのですか。「美白」は、私たちの世代ではもう当たり前のように浸透しています。お化粧の仕方も、雑誌やテレビなどを見て覚えていくと思っていたので、意識したことがありませんでした。

最初は見よう見まねでお化粧を始める人が多いと思います。私の著書『おしゃれの哲学』では「ならい」→「こらし」→「はずし」という美を追求する行為の一連の概念を提案しているのですが、化粧やおしゃれは、最初は誰かのまねをして習う「ならい」から始めることが多いでしょう。「ならい」を続けて行くと、方法が“自分のもの”になり、自分なりの工夫を凝らす「こらし」の段階に入ります。しかし、いつまでも同じお化粧を続けていると限界を感じるように、「こらし」はいずれ行き詰まり、新しい美を求めて「はずし」をする、という考え方です。
若いうちは「ならい」→「こらし」→「はずし」のサイクルがうまく回っても、世間から“中高年”呼ばれる頃から自己表現の落とし処を見失ったり、美の表現をあきらめたり面倒くさく思うなどで、このサイクルがうまく回らなくなる人も多いですね。
さらに問題なのは、どの年代の人も同じ体型と同じ顔を追求するように、美という価値の画一化です。

なるほど。では、こうした一連の概念を踏まえ、石田さんから見て現代女性の美に対するアプローチについて、ご意見をお伺いできますか?

私は「スロービューティー」という美のあり方を提唱しています。これは「人それぞれ・年それぞれの美しさ」という考え方です。人は皆、違った顔つき・体つきに生まれてきます。それにも関わらず、皆が人気の(あるいは流行の)顔や体型と比較して「欠点だらけ」の自分を修正しようとしています。しかし、せっかく違った顔や体型に生まれたのですから、「自分の内部に価値基準をおいて」自分にしかできない表現を探った方が、自分自身も幸せだし、社会の価値も多様化して、だれもが生きやすくなると考えます。これが「人それぞれの美しさ」です。さらに、今のアンチエイジング(加齢に抗うこと)というのは、10代後半から20代の頃の美しさに基準をおき、それを何十年もずっと保とうとするものですが、20歳には20歳にしかできない美の表現、30歳にも、40歳にも、何歳になっても、それぞれその年齢にしかできない美の表現があります。毎年、新しい美の価値基準が見いだせるはずです。それを見つけて表現するのが「年それぞれの美しさ」です。つまり、個人内部での美の基準の多様化も大切です。

確かに、その年齢でしか表せない美しさがあると思います。では、年齢に限らず、化粧をする行為に関して、何かアドバイスなどがありましたらお聞かせいただけますか?

電車内での化粧は絶対にやめてほしいですね。日本人が伝統として大切にして来た化粧の意味は、成人の証であることと、「身だしなみ」(礼儀作法)だからです。90年代以降、化粧の第一義は「礼儀作法」から「自己表現」に変わりましたが、この自己表現というのは野放図な自由を指すのではありません。それを勘違いしている人が多く見受けられます。電車内での化粧は自己表現などではもちろんなく、公共の場所で着替えているも同然です。特に学生のうちは実感がないかもしれませんが、「自分は社会の中で生きている」ということを、忘れないようにしていただきたいですね。

歴史的に見ても、男性は美意識が高い!?

最近は女性だけでなく男性も化粧する人が増えてきました。男性の化粧や美の価値基準についてお聞かせいただけますか?

最近の日本人男性の化粧は、1993年にJリーグが開幕して、おしゃれなサッカー選手に刺激を受けたのがきっかけになっていると思います。その後、長野オリンピックの金メダリストの中にも、茶髪で眉毛を細く整えた人たちが登場しましたね。かつては、スポーツができる人はおしゃれとは縁遠いイメージだったのですが、こうしたヒーローのようなスポーツ選手に感化されて、現代の「男性の美」の表現が生まれました。
今では男性のスキンケア化粧品も品揃えが豊富になり、眉を整えるのは当たり前、さらにエステにも行くようになりました。美しさを求めることについて、男女の違いはほとんどなく、むしろ男性の方が「美の追求」にはまってしまうケースさえ見受けられます。
スポーツジムでの肉体づくりから始まり、エステティックサロンでの脱毛、ネイルまでと、収入の多くを美容のためにつぎ込んでいるという男性もいます。
かつて、前近代の時代は男性の方が女性よりもはるかに熱心に美を追求していました。フランス革命前の西欧の貴族や日本の平安時代の貴族の化粧、アフリカの民族のヘアスタイルと顔を含む全身ペインティングからも、その様子を知ることができます。これらは権力と富の象徴でした。
でも、今は自分のイメージを良く見せたいという理由で美を追求している人が多くなりました。「見た目」が良い方が商談も就職も決まると、本人が思い込んでいる“見た目の時代”になりました。さらに格差社会では、外見と年収がだんだん結びついてきている傾向があります。アメリカや韓国、中国ではかなり進んでいますし、日本もそういう社会になりつつあるのではないでしょうか。

次のページでは、石田かおりさんの学生時代について伺っています。

ページトップへ