NORIE MIWA & YUKARI TAMURA Seminar03 NORIE MIWA & YUKARI TAMURA Seminar03

研究セミナー特集

Seminar03 「プレイスメイキングと子どもの居場所づくり」 まちづくりの現場からこどもの居場所を誘発する仕掛けづくり

開催日 / 2016年11月29日(火) pm18:00〜19:30
開催場所 / 横浜市立大学 金沢八景キャンパス YCUスクエアY401
対談者 / 三輪律江 准教授
ゲスト / 田村柚香里 氏(ワークヴィジョンズ・プロジェクトマネージャー)

2. ワークヴィジョンズ・プロジェクトマネージャー 田村 柚香里氏による講演

田村 柚香里氏

YUKARI TAMURA田村 柚香里氏

田村 柚香里氏

 佐賀県生まれ。日本航空国際客室乗員部、特注タイルメーカーを経て2005年ワークヴィジョンズに加入。北海道の岩見沢複合駅舎(刻印レンガプロジェクト)、函館市中心市街地トータルデザイン等、地方都市のまちづくりプロジェクトを担当。福島県喜多方市における高校生との協働による空き地、空き蔵の再生プロジェクト「小田付蔵通り南町2850」は、今年度の都市景観大賞(景観まちづくり・教育部門)を受賞。現在は、福島県石川町で千葉大学造園学科のリノベーションプロジェクトが進行中。

縮退の時代に地方都市が抱えている現状

皆さんこんばんは、ワークビジョンズの田村と申します。今日は三輪先生からご紹介頂きましたように、私が約7年の期間で取り組んだ2つの事例を紹介するのですが、主に地方の都市のまちづくりについてお話をさせていただこうと思います。テーマが、「まちづくりの現場から子どもの居場所を誘発する仕掛けづくり」という三輪先生から頂いたお題だったのですが、逆に子どもたちの存在がどうまちを変えてきたのか?というところも今日ご紹介したいと思います。

まず大きなテーマとして、公共的な空間をいかにうまく使っていくか、それと公と民の活動の連鎖と循環、これは公的なこと=行政が行うこと、それから民間が自らやっていくこと、これらのそれぞれの活動がどう連鎖して、またさらに循環させていくことでどうまちが変わっていくのか、ということについてのお話になります。

この図を見慣れてしまっている方も多くいると思いますが、日本の人口推計です。これは西暦800年から2100年ぐらいまでの非常に長いスパンのグラフなのですが、明治維新以降一気に日本の人口が上がって、急成長という時代となり、それが2005年にピークを迎えます。そして現在の私たちがどこに位置しているかというと、ちょっと人口が下がり始めたあたりということになります。ここからまた100年ぐらいかけて人口が一気に減っていくのですが、この人口が減る時代というのは、今生きてる私たち、高齢の方も含めて誰も経験したことがないわけです。そんな時代を迎えて、私たちはこれからどうまちを作っていくのか、子育てをしていくのか、暮らしていくのかということに焦点を当てて、地方のまちづくりに取り組んできました。

人口減少、超高齢化、同時に税収の低下、この縮退とよく言われる時代の現況を何で見れば一番わかりやすいかというと、空き家数とその比率です。現在、全国の空き家総数が820万戸ほどになっています。空き家率が13.5%、さらに首都圏はまだまだ大丈夫ですけれども、空き地というのも加わってきます。空き家はそのうち老朽化して使われないと空き地になっていくのですが、これは地方の中心市街地だと今ほぼ間違いなく駐車場になります。土地のオーナーさんは固定資産税を払わないといけないので、そのために駐車場にしていくわけですね。さらに地方の郊外になると、だいたいが太陽光パネルです。私は地方の仕事が多いので新幹線で移動することも多いんですけど、新幹線の中から風景を見ていると最近は本当によくキラキラ光る太陽光パネルが増えてきました。メガソーラーと言われるものですね。これが今地方都市が抱えている空き地利用の現状です。

ここで、また画面を見ていただきたいのですが、実際にこれから今日ご紹介する一つ目の事例、私の出身地でもある九州の佐賀県佐賀市の中心市街地の状況を表した資料です。赤く塗ってあるところは全部青空駐車場、空き地、空き家です。昭和40〜50年代まではこれらの場所は全てぎっしり商店で埋まっていて、どこも空きがないというぐらいの街中でしたが、現状は市街地と呼ばれるエリアの24%が青空駐車場、空き地、空き家になっています。まさにもう人がほとんど歩いていない、その代わり車が沢山並んでいる、といった状況ですね。これは多くの地方都市が抱えている共通の現象で、全国の中心市街地どこに行っても駐車場だらけです。セミナー写真1画面でもお分かりかと思いますが、夜の飲み屋街で夜になるとどこからともなく人がやってくる、しかし昼間は誰も人がいないという状況です。ほとんどの人はああいう景色が広がる町に土地を買って家を建てようとは思わないとでしょう。実際にそんなところで暮らせませんという意見が、子育て世代のお母さんたちからとても多く聞かれました。中心市街地の賑わい再生については、一番はやはりその子育て世代のお母さん方など、生活する方がもう一度戻ってきて暮らしやすい環境を作るというところにあると思うのですけれど、実際には地方都市はそういう状況にはありません。「暮らしやすさ」をどうイメージするかというところで、キーポイントになってくるのが、やはり地方都市に挙げられる道路、駐車場、公共交通の3つの課題を考え、具体策を練るということになります。

これはどういうことかというと、車でも来やすくてかつ安全な町にすることです。私は普段東京に住んでいますが、東京首都圏は公共交通がとても充実しています。むしろ車で動くことの方が不便だったりする。でも今地方都市は車社会で、公共交通はほとんど整備されてない。逆に言うと車で動かないと何もできないのが地方都市の現状ですね。

これは地方都市だけの話だと思われるかもしれませんが、最初にお話しした人口が急激に減っていくとなると、いずれ首都圏でも同じことが起こってくることです。ということは今地方で私たちが苦戦しながら試みているプロジェクトの例というのは、何年か後に必ず首都圏においても参考になる事例だと思っています。今日2つプロジェクトをご紹介しますけど、キーワードは「逆転の発想」、それからもう一つ、「裏を表に変える」、そして「ほしい暮らしは自分たちで作りましょう」、この3つのキーワードを視点に2つ事例を紹介したいと思います。

セミナー写真1

子どもやお母さん達の居場所作りからまちが再生する

佐賀県の昭和30年代の商店街と、現在の商店街

先ほど少しお話しましたが、佐賀市の中心市街地の再生、このプロジェクトで私たちが実践している「わいわい!!コンテナ」というプロジェクトについて画面を見ながらご紹介します。まず佐賀の街中再生の大きなテーマは、「空き地が増えればまちが賑わう、みんなでまちをシェアしよう。」これをテーマにして、プロジェクトを行ってきました。

佐賀県の昭和30年代の商店街と、現在の商店街佐賀県の昭和30年代の商店街と、現在のものを比べてみましょう。これは昭和30年代の写真です。私は昭和40年代の生まれなのでちょっと私が生まれるよりも早い時代なんですけれど、アーケードが見えます。そこに人がぎゅうぎゅうづめですね、子どもの時迷子になって、大変な思いをした記憶のあるところです。それが人口減少の時代を迎えて今どんな風景になっているか、この写真は同じ商店街です。誰も歩いてません、全部シャッターが閉まっている、そんな風景です。この商店街自体も存続がおぼつかなくなって破綻するという事態も起きました。そこで先ほど紹介しました1つ目のキーワード「逆転の発想」というのが生まれました。

私の所属する事務所の代表である西村浩は私と同じ佐賀県出身で、偶然地元のまちづくりに関わることになり、まちをなんとかして欲しいので一度帰ってきてもらえませんかという依頼を受けて佐賀に戻った時、あの惨憺たる状態を見て、いったい何をしたらいいんだろうかと考えたようです。私どもの事務所は設計事務所なのですが、ものを作るのではなく街をなんとかして欲しいという依頼だったものですから、これは困ったと…。作るのではなく、どうしたらまちを再生できるんだろう。空き地、駐車場の土地を再生するというのも手立てがない。そこで私たちが考えたのは、むしろこれからの時代は人口が減っていくんだから相手のものは相手のものとして、新しい価値を生み出していくことに転換した方がいいのではないか? いわゆる空き地をマネジメントすることを考えた方が、これからの時代にフィットするのではないかと思いました。例えば先ほどお見せした資料の空き地、青空駐車場ですが、これを試しに緑に塗ってみたらどうか? 緑というのは、原っぱにするだけ。それだけでも駐車場という閑散として無機質な空間よりは気持ちのいい空間ができるんじゃないか? つまり空きを活かして街の価値を高める、その上で街にもう一度足を運びたいという動機をどうやって作るか? ということを考え、発想を転換させました。そうして始めたのが「わいわい‼︎ コンテナ」プロジェクトです。先ほどのお話のお母さんと子どもの活動半径300mよりもう少し小さいエリアで行うプロジェクトです。この「わいわい‼︎コンテナ」は1と2があり、1は1年間、2は現在も継続されていて、すでに5年目に突入します。これらのプロジェクトは社会実験としての取り組みとして行政に提案しました。ですので、当初は1年間で終わる予定だったのですが、実験なので効果の有無やどういう変化をもたらしていくのかを含めて、もう少し実証するために2年目に場所を移して一つを継続させてみる、いうことをやりました。1年で終わった「わいわい‼︎コンテナ1」、今も続いている「わいわい‼︎コンテナ2」、この2つのコンテナ間の距離はだいたい80mくらいだったのですが、この距離で結果に大きな違いが生まれていました。なぜそのような違いが生まれたかというのをこれからご紹介します。

セミナー写真2

「わいわい‼︎コンテナ」プロジェクトでは民間所有していた空き地を借地として借り、そこに小さな海上コンテナを置いて、地面は原っぱにしています。画面に出ているコンテナの中には子ども世代が誰でも集まって見れるような雑誌、絵本、漫画だけを約300冊揃えました。佐賀県の中心市街地の中には図書館も本屋さんもあまりなくて、雑誌すら買える場所がないという状況だったのでその補助機能として入れてみたわけです。すると、これだけで子ども達が帰ってくる空間になり、そこそこの賑わいを見せるようになりました。子ども達とそれにつれてお母さん世代が時々集まるレベルまでは持って行けたと思います。1年が経過して2年目、コンテナの場所を移して「わいわい‼︎コンテナ2」を作りました。1の時はコンテナを一つに繋げて配置していたので、静かに本を読みたい人、ワイワイ騒ぎたい子達、お喋りしたいお母さんたちが同じ空間の中でお互いちょっと気を遣わないといけないというのが見て取れました。なので、2ではコンテナを空き地の中にそれぞれ分けて配置しました。コンテナにはいくつか種類があり、例えばコミュニティコンテナというのには小さいお子さんでもペタっと座って遊べるように室内は土足にして、カーペット敷きの建物になっています。他にはトイレとオムツを変えたり授乳できるスペースのある小さいコンテナ、それとチャレンジコンテナと言って若い人が自分の作品を展示したりとか期間限定で販売したりといったようなことができるコンテナがあります。このアイデアで小さい子たちが以前に増してたくさん来るようになりました。コミュ二ティコンテナは時間帯によっていろんな使い方が生まれてきていて、午前中はだいたい子育て世代のお母さんたちが多いんですけど午後になるとちょっとお年を召した方も集まってきて趣味のサークル活動とかコーラスの練習をされたりしています。そして「わいわい‼︎コンテナ1」の時15,000人だった年間来館者数がなんと「わいわい‼︎コンテナ2」では69,000人まで増えました。一年間で、ほとんど人がいなかった中心市街地に人が集まるようになったのです。当然社会実験なのでいろんなアンケートをとってるんですけど、「わいわい!!コンテナ」は必要ですか?というアンケートでは1年目の時、はいという回答が93%、いいえが1%でした。2年目になった2014年のアンケートでは、残して欲しいが85%、むしろ増やして欲しいが14%、いらないという回答が一つもなくなった。これは私たちによってはとても大きな成果でした。

では、この1と2の結果の違い、何が大きく影響したのか? それは、2の方が車が通らない道路に面しているということです。この「わいわい‼︎コンテナ」2は旧アーケードがあった商店街に面しています。ですので、そのコンテナがある敷地の前面道路は当然歩行者専用になっていて車が通行しません。なので、通常平日のだいたい朝の光景で、保育園の先生方がお子さんたちを安心して連れてこれるわけです。この、車が入ってこないということが、それが大きな成果の違いになったわけです。

セミナー写真2

このように、地面を原っぱにして小さな図書館とかちょっと集まれる場所を作ればこんなに人が帰ってくるんだということに味をしめまして、この原っぱ作り活動というのを毎年地道にやっていくようになりました。それも、地域の子どもたちと一緒にやっています。「わいわい!!コンテナ」は1の時も2の時も実は原っぱの整備は地域の子ども達やお母さん方と一緒にやりました。なぜこうして子ども達と一緒に貼るのか? なぜならそれは子ども達が未来のまちの担い手になるからです。私も事務所の代表も佐賀出身だと申し上げました。ですのであの疲弊した商店街がかつて賑わっていた頃の記憶がしっかり残ってます。佐賀の街を何とかして欲しいという依頼で戻ってきた時にあまりの落差で衝撃を受けましたし、何とかしなくてはいうと思いが生まれました。今の子ども達はどこに行ってるかというと、お母さんの車で郊外店の大型ショッピングモールと呼ばれるところに連れてってもらって、フードコートでお母さんが買い物してる間にゲームして遊んでる、そんな状況です。そうした子ども達が大人になった時に果たして自分が育った街を良くしたいと思うだろうか、そこに不安を覚えたので、小さなことでも子どもたちができることはできる限り一緒に作っていこうという風に思ってやってきたわけです。

そうした活動を続けて、3年目の時ですね。いよいよここまで変わってきたので、うちの事務所も自費を投じて「わいわい!!コンテナ」と同じ沿線上に事務所とワーキングスペースとカフェを併設した同じコンテナのデザインで建物を作りました。なぜかというと、人が日中暮らせる居場所ができたので、小さいけれども働ける場所を作ってあげようというチャレンジを自分たちでやってみたわけです。そういった少しづつ街の基礎体力を戻してくる活動を3年4年と蓄積してきた結果、人が集まってきて、あんなに閑散としていた商店街にちゃんと民間が動きを戻してくるんですね。今お見せしている画面は、「わいわい!!コンテナ1」とうちの事務所です。この通りにこれだけ民間によるまちへの投資というか、出店や進出という動きが出てきました。チャレンジコンテナの隣にちゃっかりラーメン屋さんができたり、さらにすぐそばに若者二人がTシャツのプリントショップを作ったり、そうやってどんどん連鎖的に通り沿いが動いていくと…。お店によっては保育園に行ってる間だけお店を開けるところもあり、そこでは閉まってしまうのが早いんですが、お母さん方がこういう働き方ができるように家賃を少し下げてあげたり、お店を応援してくれる人たちが街の中にちゃんと現れてきたわけです。こうなってくると子育てがだんだんしやすくなってくる環境がちょっとずつ見えてくる。そして子ども達が戻ってきてくれたおかげでまちが気がつくと大きく変わっていました。

また、佐賀県で私たちはもう一つ取り組みをしていて、これは佐賀城の地図なんですけれど画面上の中心市街地の水色の線、これは水路、クリークというものです。佐賀は筑紫、佐賀平野とも言われるほど平坦な土地で、雨だけが水の頼りなんですね。農業が盛んな町ですが、融通がなかなかきかない水をどうやって城下に回していくかというために、江戸期に整備されたというクリークで、こういう風景が町の色々なところに出てきています。そこで次の「裏を表に変えていく」というキーワードが出てきます。「わいわい‼︎コンテナ」プロジェクトが2009年スタートして2015年にまちがあそこまで変化した。じゃあ次にやるのは、点から線、点から面への展開だろうということでクリークを使った展開を始めています。この画面は「わいわい!!コンテナ2」を作った時の佐賀新聞の記事ですが、実際にクリークにこういうテラスを作って、ここで水耕栽培的なものをやったりとか、それを子どもと父さんがこうやって見ている。そして驚いたことに、なんとセーヌ川みたいと書いてありました。クリークを開いて作っただけ、テーブルと椅子を置いて休める空間を作っただけなのに、その水路でさえもセーヌ川と言ってもらえるんだということで、ここでまた私たちが考えた戦略が間違ってなかったなと実感したわけです。

そして今度はこのエリアのポテンシャルをどうやって上げて、住みたい街にしていくかという第二段階に入ってきたわけです。そのためにどうしたかというと、何てことなくて、クリークの道の使い方を変えて、また子ども達や大人で一緒にクリークに船着場を作りました。そして佐賀市の緑化推進課などがダムの調査のために持っていたカヤックを街中に持ってきてもらい、クリークの中でカヤック遊びをみんなで全力で遊ぶということをやったわけです。

セミナー写真3

そしてついでにポテンシャルマップなるものも作ってみました。このクリーク沿線にどういうものが展開されるとこんな街になりますよ、というのを勝手にマップ上で人の持っている空き地の場所に絵を描いて、これを持って沿線の建物の持ち主の方々を一軒一軒回りました。こういう活動は、民間だからできることで、行政では絶対できないことなんですけど、こういう街にしたいと思うんですということを次々に説明していったわけです。このクリーク沿線で空いてるんだったら住んでもらいたい、住んでもらえるような建物に価値を変えようという取り組みでもあります。そして絵に描いたなら実践してみようということでつい先月実際にやってみたのですが、このクリーク沿線のところでマルシェのようなものを開いて、そこで大学生や子ども達を呼んで遊んでみる。夜は沿線上にあった古い建物の白壁に映像投影して映画をみんなで見てみたりと、今まで「裏」でしかなかったクリークを使うことで「表」に変えてどう街の価値が変わるかということを実験し、その結果、街中にまた賑やかな風景が戻って来たわけです。

そういうトライを佐賀で少しづつ積み重ねながらやってきて、現在ちょうど6年目という状況になります。これからクリーク沿線に人が戻ってきて住みたいと思えるような、そういう建物を探し、そこでリノベーションして使おうという機運をもっともっと高めていく。それがこれから展開していく佐賀のまちづくりと考えています。いずれも一番最初は子ども達やお母さんが街の中で時間を過ごせる場所を作ったことがきっかけでした。それがこれだけ5年間で風景を変えてきたわけです。子どもの力ってすごいなと思います。人が集まってきて初めて商業も展開する、それが昔の中心市街地のような生業の姿になってくると。ただ今は人口減少時代ですからおそらく昔のような風景にはならないと思いますが、でも違った形で街が生き返る。これが佐賀のプロジェクトです。

セミナー写真3

地域を自分たちの力で居場所にしていく

もう一つ、今度は小さい子どもからちょっと世代を上げて、福島県喜多方でのお話なのですが、喜多方で展開したプロジェクトについてご紹介します。先ほども言いましたが高校生ぐらいになると活動圏内が広がる分、まちとの関わりが薄くなってくる、そんな高校生とやってきたプロジェクトがこの喜多方のプロジェクトです。会津喜多方の地域の町内会みたいな団体と福島県立喜多方桐桜高校、そして私たちワークビジョンズが展開してきたまちづくりの事例です。最後のキーワード、「欲しい暮らしは自分で作る」、これが今日の3つ目のキーワードになります。

福島の喜多方というとラーメンで有名なんですけど、蔵の街でもあります。今でも現存する蔵が4000棟ぐらいあります、ただどれも老朽化していたり使われなくなった蔵もあり維持・管理していくのに非常に苦労されています。観光ポスターなんかにも載るような蔵なのですが、その中でも喜多方でも一番の裏通りこの場所、ここが喜多方のプロジェクトの拠点になります。しかしなんと東日本大震災が来てしまったことで老朽化した蔵が倒壊する、しかも冬の時期で雪も降って重みに耐えられず使われなくなった蔵がどんどん倒壊していくそんな最中、ちょうど同じ2011年に福島県立喜多方桐桜高校というのが県立の商業高校と工業高校が合併して新たに再編されて出来上がった、これはもう運命的だなというふうに思いました。しかもエリアマネジメント科というのができたばっかりで、先生方もまちづくりをやりたいんだけどどうやっていいかわからないということで私たちにお声がかかったんですね。高校生たちはよく町歩きをしていました、してはいたけど街に自らコミットするという手立てがないような状況だったものですから、まずあの蔵通りの一番真ん中にある倒壊してしまった蔵の場所を再整備しようということになりました。そして、その場所をどんな場所にしたらいいのかというアイデアを高校生に考えてもらいました。専門の課程ではないのですが簡単な模型を使ってレイアウトするというデザインワークもやり、その中から最終的に投票で決まった案に専門家の私からもちょっと手を加えまして、アイデアにアイデアを乗せて実際のデザインを決めました。さらに自分たちで施工までやろうと。ここでもやはり原っぱというのが出てきました、そうして芝を貼ったり、昔からあった殺風景なブロック塀に色を塗っていったりしました。さっきも言ったように工業高校と商業高校が合併したものなので建設課が残っていて、倒壊した蔵の整備は建設課の男の子たちが地元の職人さんたちと一緒にやってくれました。

蔵の中には地元のアーティストの方が絵を描いてくれたりと、まあ大変な作業でした。高校生もよく頑張ったと思います。画面の通り、小さいけど残った蔵をここまで直すことができました。今は子ども達が楽しめるようにということで、地域の方々がもう読まなくなった絵本や漫画を一生懸命集めて、絵本蔵として活用しようと本集めをやってるところです。そして翌年、この空き地と蔵につながる小道に歩道整備をしました。まるで土木ガールズのように女子たちが一緒にレンガを敷いてるわけです。そして実際整備された後に、いも煮を作ってみんなで食べるというような、そんな取り組みを皆でやってきたわけです。そして3年目、今度は通りに面した通りにいこいの広場のデッキをつくろうということでこれも地域の職人さん方の力を借りて、地域の町内会みたいな方々の協力も得ながら一生懸命デッキ作りをしました。

こうした活動を、毎年2年生のカリキュラムとして組み込んでもらって、これら一年のプログラムを毎年2年生がやってきてちょっとづつ街を変えてきたわけです。これが蔵の街喜多方のメインの通りなのかという惨憺たる状態だった通りが大きく変わりました。さらになんと国土交通省の景観まちづくり賞、景観大賞というものですね、教育部門でこの活動が大賞をとってしまいました。そうするとこの小さな喜多方の一角のこの空き地、それから震災で影響受けて半分崩れてしまった蔵、この再生プロジェクトに沢山の方々が注目してくださって、それがまた高校生たちのモチベーションにつながるわけです。高校生がどんな風にやってきたかというと、地元に恩返しがしたいというんですね。彼ら彼女らが一緒に広場を整備して蔵を再生してやってきたその課程の中でこういう気持ちが生まれてきた、この気持ちを作ってきたのが喜多方のプロジェクトです。これは2年生しかカリキュラムに入っていないのですけど、自分たちが整備したところを皆卒業していったあとでも夏休みなどに戻ってきて、何も言わず草むしりや整備したりといったことを地域の人たちと一緒にやってくれています。なので喜多方の広場の原っぱはいつ行ってもふかふかで気持ちがいい。ここは冬になると雪が積もるのですが、未就学の小さい子どもたちの絶好の遊び場になってます。こういうアイデアも子ども達が自ら出したアイデアです。

セミナー写真4

この喜多方のプロジェクトの空き地や空き蔵の再生でやってきたことの本当の目的というのは、地域に愛着を持ってもらう、誇りを失わずに持ってもらうというそういう子ども達の気持ちの育成、それから地域に関わる自分たちが体を動かしたアイデアを出したということで、街が変わるという達成感みたいなものを自ら感じてもらい、次のアクションに繋げていく、その活動を地域の方々や蔵の工事に関われる職人さんと一緒に関わりながら教えてもらうことで、次の世代の担い手となる若者を育成する、そういうもののつながりを作っていくことですね。たくさんの人と関わりながら自分たちの楽しいと思うことをやり、さらに街によって必要な自分たちがこういうのがあったらいいなと思うのを、自分たちの力で作ることで、自分たちの居場所にしていく。これが自分たちとの居場所だなと思った時から子ども達は何も言わずとも自分で掃除に来ます。また、今年一番最初の年にやったプロジェクトに関わってた生徒が高校卒業後専門学校に行って喜多方に戻って、喜多方市役所に就職しました。建設課で、水路とか道路とか街路の整備に関わっています。その道に進んだ動機はこういうプロジェクトを経験したからであるようです。他にも夏休みになるとこのプロジェクトに関わった子ども達は、この場所のすぐ近くにある喫茶店でアルバイトしたり、時々集まって同窓会を開いたり、当時の先生まで集まってやったり、そうして過ごしているようです。まさに高校生の活動がまちを変えた。この活動も毎年続けていくことで、喜多方に残るその伝統的な建造物である蔵と同じように高校生がこうしてまちに関わることで大人も変わっていく、これが喜多方のまちづくりとして伝統になるといいなと思っています。そうなれば、この先人口が減っていっても必ず若い人たちはまちに愛着を持って、まちに関わることを続けてくれるんじゃないかなと思っています。

セミナー写真4

未来に向けて公民連携でまちづくりを

最後になりますが、教育の実践は未来への布石だと思います。教育と実践を通して様々な社会問題、空き地の問題、担い手の問題、そういった問題を一挙に解決していく、それが今求められている縮退する時代のまちづくりなのではないかという風に考えながら現在もさまざまな活動をしています。

今日は2つほど、佐賀と喜多方のプロジェクトを紹介しました。これらは民間の活動として地域の方々、行政と協力して一緒にやってきました。でもここで大きなことは教育委員会や子育て支援や建設、経済福祉、いろんな部署が行政の中にある中で、こういう方々が今までは部署同士縦割りという形になっていましたけど、民間がここに関わって活動するということが挟まることで横つながりになって連携してくれる、そういう機運が少しづつできてきた。これが一番大きな成果につながってるんじゃないかなと思います。佐賀のプロジェクトでいうと、もともとは中心市街地の再生を担っている商業振興課というところが担当していました。でもクリークを使おうと思えば当然河川砂防課というところの許可が必要になります、道路であれば建設部の道路課の許可ですね。ということは同じエリアの中でいろんな部署の人たちが一緒に集まってこういう活動をしたいんだけどもこういう時はどういう手続を許可を取ればいいだろうということが、行政の中でもやらないと民間がやりたいと言ってる活動が止まってしまう。こういった問題をクリアできたのは、今やらなければ今後のまちづくりはないということにいち早く気づいて活動をしてくださった方々のおかげだという風に思っています。公共的な空間の事業性を高めて、公民連携で地域の問題を一気に解決する、いわゆる市の有するものと、行政の共有するもの、これらがいい関係を作って暮らしを豊かにする、そうすると子ども達の高齢者もみんな心地よく街に居場所ができて、その結果街が新しく変わってくる。今は高齢者がどんどん増えてますけど、若者がいる街というのはいつも明るくて元気です。なのでそういう若い人たちがどういう風に自分たちの今場所を自ら作っていけるか、そういうきっかけを作るお手伝いをこれからまちづくりに関わる私たちがやっていくのが仕事だなと、そういう風に思っています。私の方からは以上です。ありがとうございました。