附属病院からの報告を検討,確認した結果,本件事故が発生した平成11年1月11日(月)午前8時20分頃から午後4時45分頃までに至る一連の事実経過については,次のとおりである。
1 病棟から手術室交換ホール
午前8時20分深夜勤務の病棟看護婦Cともう1人の病棟看護婦が,病室から,それぞれA氏,B氏を同一階の業務用エレベーターの中まで移送した。その後,Cが1人で,業務用エレベーターでA氏及びB氏を手術室のある4階まで移送した。
当該病棟(第1外科)では,看護婦が2つのグループに分かれ,それぞれのグループごとに受け持つ患者を決めるという看護方式を採用している。A氏及びB氏は,Cが属するグループの患者ではなく,Cは,A氏,B氏とほとんど面識がなかった。
Cは,4階エレベーターホールから同じ4階にある手術室交換ホールまでの約14メートルの距離を,2台のストレッチャーを交互に動かしながら移送した。
A氏及びB氏のそれぞれのカルテは,それぞれのストレッチャーの下にある籠に入れて搬送した。
2 手術室交換ホール
病棟看護婦Cは,手術室交換ホールに到着後,2台のハッチウェイ(ベルトコンベアを使用した手術室への患者移送口)のうち,交換ホール入口からみて奥側のハッチウェイに対し平行に,手術室側にA氏を,その外側にB氏を並べた。
病棟看護婦Cは,「AさんとBさんです。」と言った。
手術室看護婦D(手術日の3日前の1月8日(金)午後3時に,A氏,引き続きB氏を術前訪問し,面談している。)は,B氏の手術担当看護婦EとFが引き継ぎのためハッチウェイ横に来たとき,「Bさんおはようございます。」とA氏に声をかけた。
その後,Cは,「Aさんお願いします。」と言い,A氏を交換ホール奥側のハッチウェイに乗せて送った。
手術室看護婦Dは,A氏に対し,「金曜日にお伺いしたDです。Bさんよく眠れましたか。」と声をかけたところ,A氏は「はい」と答えた。B氏の手術担当看護婦EとFは2人の患者とは面識がなく,Dが「Bさん」と話しかけたことから,A氏をB氏であると思い込み,A氏を,肺の手術を行う12番手術室に移送した。
病棟看護婦Cは,A氏の次に,B氏をハッチウェイに乗せ,手術室側に送った。A氏の手術担当看護婦GとHは,B氏を,心臓の手術を行う3番手術室に移送した。GとHはいずれもA氏との面識はない。手術担当看護婦Gは,B氏に「Aさん寒くないですか。」と問いかけたところ,B氏は,「暑くはないね。」と答えた。
その後,病棟看護婦Cから手術担当看護婦への申し送りが,通常の手順どおりハッチウェイ横にあるドアに設置されたカルテの受け渡し台で行われた。
そのとき,Cは,A氏及びB氏のカルテを一緒に持参して,A氏の申し送りをしてカルテを渡した。その際,Cは,A氏には,麻酔前の注射として麻薬を使用したこと,背中にフランドルテープを貼ってあることを申し送りした。申し送りを受けた手術担当看護婦Iは,フランドルテープの有無について確認していない。なお,A氏のこのフランドルテープは手術の当日である1月11日(月)午前6時30分頃に,A氏の主治医グループの1人であるO(助手)が貼ったものである。手術担当看護婦Iは,A氏のカルテを3番手術室に運んだ。
次に,Cは,A氏の申し送りを終えた後,B氏の申し送りをしてカルテを渡した。申し送りを受けた手術担当看護婦Eは,B氏のカルテを12番手術室に運んだ。このようにして,カルテは患者とは離れて本来の手術室に運ばれた。
3 手術室
A氏について 予定されていた手術(心臓):僧帽弁形成術又は僧帽弁置換術 (3番手術室) 実際に行われた手術(肺) :右肺嚢胞切除縫縮術 (12番手術室) |
1月8日(金)夕方にB氏を術前訪問している麻酔科医(研修医)Kが,「Bさん,点滴をやりますよ。」と声をかけ,点滴ルートを確保した。麻酔科医Kは,患者(A氏)の背中に貼られていたフランドルテープを見つけたが,「何だ,このシールは?」と言い,フランドルテープをはがした。
麻酔科医Kと,Kを指導監督する立場にある麻酔科医J(特別職診療医)は,硬膜外麻酔を開始した。そして,全身麻酔のために気管内挿管の準備をしており,患者(A氏)が麻酔用のマスクをしているときに,執刀医グループの1人であるT(B氏の主治医グループの1人で研修医)が手術室に入ってきた。次に,術者である執刀医R(助手)と執刀医グループの責任者であるS(講師)が入室してきた。その後,手術は,午前10時05分に,執刀医R,S,Tの3人で開始された。
本来,B氏の手術は肺の腫瘍が悪性であるかどうかの確定診断を下し,その結果により摘除することが目的であった。
手術中に,患者(A氏)には,B氏の腫瘍があると術前に診断した部位と同じところに,嚢胞様病変が認められたため,術前の所見と大きな矛盾はないと判断し,嚢胞の切除を行った。
午後1時50分に患者(A氏)の手術は終了した。麻酔科医が気管内チューブを抜いた時,2人の執刀医RとTは(ともに,B氏の主治医),患者の顔を見たが,患者の入れ替わりに気が付かなかった。
B氏について 予定されていた手術(肺) :開胸生検,右肺上葉切除術,リンパ節郭清 (12番手術室) 実際に行われた手術(心臓):僧帽弁形成術 (3番手術室) |
手術担当看護婦HとIが,「Aさん,心電図のシールを貼って,血圧計を巻きますよ。」と,声をかけたところ,B氏は,「はい」と答えた。
その後,麻酔科医M(特別職診療医)が3番手術室に入室した。
(麻酔科医Mは,手術の3日前の1月8日(金)午後5時にA氏を術前訪問している。そのとき,A氏の左耳難聴を確認するとともに,はずせる歯が上顎にあるとA氏が言ったので,手術時にはその歯をはずしてくるように指示した。)
患者(B氏)はすでに入室していて,麻酔科医Mが「Aさんですか。おはようございます。」と声をかけたとき,B氏はうなずいた。このとき,顔には特に疑問を持たなかった。
Mを指導監督する立場にある麻酔科医L(助手)が手術室に入室してきた。
麻酔科医V(教授)が入室してきた。
麻酔科医Mは,喉頭展開の際,歯が全部そろっていること,中心静脈穿刺の際,患者の髪が短く,白髪が多いことに気が付いた。
肺動脈カテーテル挿入の際に実施した肺動脈圧,肺動脈楔入圧の値は,術前のものと異なり正常であった。経食道エコーを挿入し観察を行うと,術前の所見と異なり,左心房の拡張を認めず,僧帽弁逆流は軽度であった。
執刀医グループの1人で,主治医グループの1人でもあるQ(特別職診療医)が午前9時10分に入室した。
手術担当看護婦Iは,患者(B氏)が剃毛されていないことを麻酔科医V(教授)から指摘され,剃毛とブラッシングを行った。
執刀医グループの1人で,主治医グループの責任者であるN(助手)が午前9時15分に入室した。
そして,麻酔科医L,Mと執刀医N,Qは,患者(B氏)は,A氏本人ではないのでは,と疑問に思い,議論した。しかし,患者の頭髪がやや短いのは,前日に散髪したと解釈し,さらに,肋骨の浮き上がり形状が似ていること,肺動脈圧,肺動脈楔入圧は麻酔のため末梢血管が開いて低下することがあること,末梢血管の拡張により僧帽弁逆流も改善し肺動脈圧が正常化すること,エコーの所見については,稀にではあるが,前回の検査と今回の検査との間に病状が変化することもあることから,説明し得る変化と解釈した。
麻酔科医Mは,念のため,手術担当看護婦Iに,A氏が手術室に降りているか病棟に確認するように指示した。
Iは,病棟へ電話連絡して,「Aさんの手術をしている手術室のものです。医師が顔が違うと言っているんですが,Aさんは降りていますか。」と病棟看護婦に問い合わせた。
病棟看護婦は,「確かに,Aさんは降りています。」と返事をした。
Iは,「Aさんは確かに降りています。」と3番手術室内にいる全員に言った。
心臓血管外科グループの指導的立場の医師である外科医Y(講師)が,午前9時35分に,手術に立ち会うため,手術室に入室してきた。Yは,麻酔科医(LとM)と,肺動脈圧及び経食道エコーの所見を検討し,その所見が術前とは異なること,患者(B氏)の顔が,以前(平成10年9月22日,11月24日),Yが外来で診察したときの患者(A氏)と異なる印象を受けたため,「違うのではないか。」と言った。
これに対し,手術担当看護婦Iから,A氏は病棟から降りているとの返事があったこと,他の医師からも本人ではないとする意見が出なかったことから,別人ではないとすれば,術前検査で高度の病変が認められており,また,逆流の部位が同一であることから,検査結果の違いは,「経食道エコーでは解釈できない変化が本人に起こっているためである。」と考えた。そして,麻酔科医(LとM)とYは,患者(B氏)は軽度の僧帽弁閉鎖不全を認めると判断し,これらの検査結果は,説明し得る変化であると解釈した。
執刀医N,Qは,麻酔科医L,Mが外科医Yと話しているのを目にしていたが,外科医Yからは特段の指示はなく,また,執刀医N,Qも外科医Yに何ら相談しなかった。
手術は,午前9時45分に,執刀医N,Qによって開始された。
午前10時25分頃,主治医グループのO(助手)とP(大学院生)が人工心肺を操作するために入室した。
胸骨心膜切開後,執刀医グループの責任者であるX(教授)が,午前10時40分頃に手術室に入室した。
外科医Yと執刀医Xは,検査結果を再検討したが,肺動脈圧の低下,僧帽弁逆流の高度から軽度への変化は,麻酔薬による末梢血管拡張,人工呼吸によって肺うっ血が軽快したことによる心機能改善の結果だと解釈した。
その後,人工心肺を開始したが,静脈脱血が不良であったため,主治医Oの指導のもとで人工心肺を操作していたPは,患者(B氏)を低体温状態にした。左心房を切開し弁逆流試験をすると,予想していたよりも軽度ではあったが,僧帽弁前交連よりの逆流,前尖の肥厚・逸脱と腱索延長を認めた。同部が病変と考え僧帽弁形成術を施行したが,弁組織の切除は行わなかった。逆流試験にて逆流が消失したのを確認し,午後3時45分に患者(B氏)に行った心臓手術が終了した。
また,手術中に,A氏の自己血800mlをB氏に輸血したが,同じ血液型であったので,急性溶血障害の問題は発生しなかった。
4 手術終了後ICU入室
手術後,A氏は午後3時50分に,B氏は午後4時20分に,それぞれICUに入室した。A氏はICU6番ベッド,B氏はICU5番ベッドに運ばれた。
午後4時40分に,ICUの看護婦が,5番ベッドの患者(B氏)の体重を測定したが,その結果を見たA氏の主治医O(助手)と麻酔科医Mは,A氏の心臓手術後に見込んでいた体重(60kg)と異なるため,この患者はA氏ではないのではないかとの疑いを持った。
午後4時45分に,ICUの医師Z(A氏の元主治医グループの1人)が,B氏を診察し,A氏の主治医Oに「Aさんとは顔が違うと思う。」と言ったところ,その主治医Oも「そう言えば,もう少し眉毛と髪の色が濃かったような気がする。」と言った。
このICUの医師Zは,ひょっとしたら2人が入れ替わったのかもしれないと思い,隣の6番ベッドに行き,患者(A氏)の心音を聴いたところ,10月に検査入院したときにみられた心雑音が聴かれた。そこで,6番ベッドの患者(A氏)に「Bさん」と呼びかけると,「はい」との答えがあったが,「お名前は何ですか?」と続けて聞いたところ,「Aです。」との答えが返ってきたため,患者が入れ替わっていたことが確認された。
[報告書目次]