評価と提言

1 今回の医療事故が生じた背景とその原因

 今回の医療事故は,横浜市立大学医学部の臨床系の医師が臨床医としての責任ある医療行為を十分に果たさなかったことと,看護婦の不注意や勤務体制に問題があったことが大きく関係して生じたものである。具体的には,今回の事故は,病棟から手術室への患者移送時間帯が集中し,1人の看護婦が2人の患者を同時に手術室へ移送しなければならないような体制にあったこと,同時刻に始まる手術がいくつか組まれていたこと,手術室交換ホール(ハッチウェイ)において,患者受け渡しの確認会話がなされず,患者とカルテとが別々に手術室の看護婦に引き継がれて手術室に運ばれたこと,麻酔医が手術患者の確認を十分に行わずに麻酔をかけ,さらに執刀医グループの患者確認がしっかりしていなかったこと,診断上の疑問点をはっきりさせる基本的な「診断の目」が欠落していたことなど,何重にもわたる過誤を見過ごしたまま取り違え手術が最後まで行われてしまったものである。
 今回の事故においてまず医師の問題を考えてみると,根本の問題として,横浜市立大学附属病院の医療の中に「患者中心の医療という考え方が欠落していた」ということは否定できない。この原因を考えると,附属病院が抱える構造的な問題とそこで働く医師達の意識の問題とがあり,この二つは医学部の講座制の問題を背景として相互に密接に関連している。附属病院が医学部の講座制の枠の中で運営されてきたために院内で組織横断的な管理体制がとれず,さらに,講座を運営するにあたって臨床よりも研究に比重がおかれてきたことが,附属病院の医療人の意識に「患者中心の医療」の確立へのインセンティブが働かない土壌を作ってきたと考えられる。
 これは日本の大学医学部が抱えている共通の問題であり,見方を変えれば日本の大学医学部が組織疲労を起こして出てきた問題と捉えることもできる。これらを解決していく方策の一つとして,大学附属病院は特定機能病院ではあるが,医学部の講座が受け持つ部分は教育と研究に限り,診療部門は別組織にして病院運営することを課題として検討するよう提言したい。
 看護部門の勤務体制に関しては,看護婦・士数は比較的充足されていたにもかかわらず,ある時間帯に人手不足になるといった看護システムの問題,またチーム医療の中で医師と看護婦・士間の仕事の理解が欠けていたことが,事故発生の土壌となっていたと言わなければならない。以上の点は横浜市立大学も十分に認識,反省していることが,各報告書に表明されている。

2 事故の再発防止策に関して

 横浜市立大学では,事故調査委員会から今回の医療事故の再発防止策,さらに類似した医療事故の発生を未然に防ぐ対策として指摘された,(1)患者中心の医療の確立,(2)チーム医療の確立,(3)医師の責任体制の確立,(4)手術室の管理運営体制の確立,(5)病棟の勤務体制の見直し,(6)安全管理体制の確立の6項目を中心に改善案をまとめた。
 (1)に関しては,医療に携わる者の基本理念であり,患者の生命の尊厳と権利の尊重を心から大切にする医療の確立と医療人の育成を目指すことは当然のことである。具体的な取り組みが挙げられているが,基本的に重要なことは,全職員において接遇マナー,氏名確認,内容のある会話が日常的に習慣化するような体質になることであり,そのような体質づくりが事故防止の第一歩であることを認識すべきである。
 (2)に関しては,その未成熟が今回の医療事故の一因であったと考えざるを得ず,この点は外部評価委員全員の一致した見解である。高度に専門化された現代のような医療体制においては,診療科の縦割を越えたチームを組織することは極めて大切なことであり,その際,リーダーと各構成員の役割分担をしっかりさせ,各人が連携意識をしっかりもって,患者の立場に立った医療を確立することが大切である。病院改革委員会報告書には,その具体的な取り組み等が書かれていないので,今後の検討を要望する。
 (3)に関しては,今回の医療事故では,主治医,手術の執刀医グループ及び麻酔医の連絡・連携・責任関係が不十分であったことは外部評価委員のすべてが指摘する点である。主治医グループ制を見直して,最も中心となって患者の治療にあたる医師が主治医となり,その他の医師はチーム医療における補助者として主治医に協力して患者の治療にあたることであり,今回の改革案で示されたことが,実行されることが望まれる。ただし,主治医の業務が多いことから,例えば今回の医療事故に関する再発防止策に示されたように,主治医が手術室まで患者の移送に付き添うことの意味がどれだけあるかである。長期間にわたって無理なく続けられる業務手順が確立されることが望まれる。
 手術の執刀医に関しては,各領域の専門家を中心として執刀医グループが構成されるが,その中に主治医が加わるべきである。また,誰が執刀医になるかが明瞭に示され,その執刀医と主治医より術前に患者及びその家族に手術内容の説明が十分になされることも当然必要なことである。
 麻酔医に関してもそのあり方が見直され,例えば術前訪問による患者の確認,手術当日のハッチウェイでの出迎えを義務付けているが,ハッチウェイでの出迎えまで担当麻酔医がきちんと行うことは患者の確認という点では理想的ではあるが,これも長期間にわたって続けていく業務として多忙な麻酔医に負担になることが懸念される。手術前の病棟での患者診察時に,今回提案された患者識別バンドや足底に書かれた名前等の確認をしっかり行えば,当日は手術室での再確認で済むはずである。
 (4)に関しては,手術部長及び手術部専任の医師の仕事内容の確認と管理運営体制をしっかりと確立することが改革案として提案され,さらに手術スケジュールの見直しも提案された。これまでも手術部門運営委員会が設置されていたが,その活動状況が不十分であり,今回その活動状況の見直しも提案され,それらはいずれも妥当なものである。手術部門運営委員会の内容が見直され,効率良く手術が行われるよう手術の開始時間が同時刻に集中しないように改革されるなど評価される点が多い。
 (5)の病棟の勤務体制の見直しも重要で,これまでの看護体制には,大学の改革案で指摘されているように問題点が多い。これまで朝の手術開始時に多くの患者を同時に移送しなければならないという無理があった。今回の大学の提案では,朝の看護体制を改革し,手術室への患者移送に際し1人の看護婦・士が1人の患者を移送する体制をとることとしており,妥当な改善策である。また,看護業務における確認会話,確認行為の重要性と教育・訓練の必要性について,病院改革委員会報告書では,記述がないので,ここでその認識をするよう要望する。
 (6)では,今後このような医療事故の発生を繰り返さないために,安全管理委員会や事故予防委員会を新たに設置し,小さな見直しやニアミスなども含めて情報を収集し,すべての医療事故を未然に防ぐための安全管理体制の確立を目指している。この対策は今後発生する可能性のある様々な医療事故を未然に防ぐために,極めて有意義な対策と考えられる。
 以上6項目以外に,事故調査委員会も病院改革委員会も分析しなかった問題に,ヒューマン・ファクターがある。なぜ確認がおろそかであったのか,なぜ基本的な「診断の目」が全員に欠落していたのか,その背景にあるヒューマン・ファクターを分析するなら,様々な重要な事柄が明らかになるはずである。今後その作業を行うことを要請したい。
 また,急速に高齢化が進むなかで,病院の入院患者についても一層の高齢化が予測されることから,今後の医療事故防止に向けた取り組みにおいては,高齢患者を視野に入れた対応が不可欠であると考えられる。

3 病院改革に関する外部評価

 横浜市立大学医学部では今回の医療事故は個人の誤りや落ち度の問題とともに,病院の組織運営上にも多くの問題があったことを認識し,今回の医療事故を契機に病院改革案が作成された。主な改革点は,(1)安全管理体制の確立,(2)病院長による指導体制の確立,(3)医療教育の充実,(4)情報伝達の円滑化,(5)外部評価システムの導入の5項目である。
 (1)安全管理体制の確立のために事故予防委員会を設置し,医療事故を予防し,患者の安全を確保するため,潜在的なリスクを洗い出して適切な対応を選択して実行することを目的とするとともに,さらに安全管理の質を高めるために医療安全管理部門を設置し専門スタッフを配置することとした。この安全管理部門は各診療科から独立した立場から各医療現場の安全管理の総監督を行い,具体的な対策を実施する体制をとっており,理想的な安全管理体制と考えられる。このような安全対策では,特に簡単明瞭な対策,毎年,改革・改善すること,収集した情報の現場へのフィードバック,ヒューマン・ファクターの分析が重要である。
 (2)病院長を専任として任期を3年間とし再任を妨げず,その権限を強化したことは,病院の運営並びに安全対策の面で理想的な体制である。ただし臨床系教授の中から選ばれた場合に,後任教授が選任され,病院長は辞職後は講座教授には戻れないという問題があり,あまり若手の教授等が病院長になり難いという欠点も考えられる。また,そのような状況を考えると,せっかく若手で有能な人がいても病院長への就任を希望しない人が出てくる可能性もあり,そのあたりの問題点をいかに解決していくかが将来の課題である。
なお,これまで存在しなかった副病院長職として2名以内の就任を計画し,これは兼任職とし,しかもその1名が医療安全管理を担当することとした点は,評価できる改善策である。
大学病院は各診療科が講座の「縦割分室」とでも言うべき性格をもっている。そのことが患者中心の有機的な総合診療やチーム医療の壁になりがちである。病院長が講座の縦割にとらわれないで,病院の組織と体質づくりができるような制度的保証が必要であろう。
 (3)今回の事故を契機に医師並びに看護婦・士のような医療人に対する教育体制を強化したことは極めて重要な対策である。毎日の業務開始にあたって,その日のスケジュールや業務内容をしっかりと確認し,責任ある行動をとる習慣が身につくような教育体制がとられることが望まれる。また,特に看護婦・士教育については,婦長等の管理能力の育成も重要であり,対策が必要であろう。
 さらに医学生及び看護学生のうちから,医の倫理さらに患者中心の医療を重視した教育を受けさせることとしたことは,現在の医学生及び看護学生の教育上特に重要なことであり,高く評価できる対策である。ただ,知識偏重の傾向が強いカリキュラムの中で,そういう教育のプレゼンテーションをどうするかは,斬新なアイデアが求められるところである。
 (4)大学病院のような大規模な病院では,組織や構造が複雑であり,働く教職員の人数も多いことから,情報伝達をいかに円滑化させるかは医療事故の発生防止に極めて大切である。今回の改革案ではその伝達経路をはっきりさせ,上からの伝達事項を明瞭にするとともに,院内の教職員からの提案制度を設け,特に危険要素を見つけ出すインシデントの自発的な報告システムを設けたことは大事故の未然防止のために有効なことであり,このシステムが真に生かされることが望まれる。さらに病院内の教職員の交流を良くするために,院内広報紙を定期的に発行することとしたが,安全情報については定期の独自のサーキュラーを緊急に出す必要がある。
 (5)今回の医療事故を横浜市立大学がいかに深刻に受け止め,少しでも早く市民が心から頼れる病院に改革すべく諸委員会を早急に組織,検討して,事故の再発防止策,病院の改革案を作成し,恒常的な外部評価システムをも導入したことはこれまでに前例のない取り組みであった。色々な領域から選ばれた委員により構成された外部評価委員会であれば,有意義な意見が出されることも多いと期待される。
なお,横浜市立大学医学部附属病院では,今回の医療事故の責任を重視し,特定機能病院の資格を返上したが,病院の安全対策が確立された後には,大学病院としての機能を果たすためにも特定機能病院としての再承認が得られるべきと考えられる。

4 まとめ

 今回の横浜市立大学医学部附属病院における医療事故は,医療界においてあってはならない重大な事故であり,その発生には,各医療人の責任感の甘さとチーム医療の未成熟及び病院の組織体制の欠陥等が関係していたことは事実である。
 横浜市立大学ではこの医療事故の重大性を深刻に受け止め,附属病院で働く教職員の意識改革,事故の再発防止対策そして病院改革について検討を重ね,詳細な改革案及び将来計画案を打ち出した。それらの改革案及び将来計画案は,学生教育及び研修医の教育を含め,附属病院で働く教職員の責任体制をしっかりさせ,今回のような医療事故を含め,今後生じる可能性のある医療事故の発生を防止するための対策を極めて詳細に提示した。これらの将来計画がすべてきちんと遂行されるならば,小さな医療事故の発生をも未然に防げると考えられる。
 懸念されることは今回の改革案があまりにも詳細すぎて,今後の日常業務の円滑な遂行に支障がないかである。特に看護体制,主治医や麻酔医の役割分担,手術室への患者の移送方式や手術室の運営方針など,詳細すぎるところがある。長期間にわたって任務が遂行しやすいように,運用面で多少の修正が必要と思われる。事故防止対策は,簡単・容易・確実であることが実効性と有効性を高める。既に列挙された安全対策を,そのような視点から整理する必要があろう。
 今回の横浜市立大学医学部附属病院で起こったような医療事故は,その原因を分析すると,決して特異なものではなく,事故を構成した要因の多くは,日本の医療機関に潜在するものであり,従って同じような医療事故は他の大病院においても生じる可能性が予想される。それゆえ,今回提示された横浜市立大学の事故防止策や病院改革案は,今後,各医療機関における医療事故の発生防止に大変参考となるものであり,このような事故発生防止策や病院改革が広く公表されることが望まれる。