横浜市立大学医学部附属病院の医療事故に関する中間とりまとめ

平成11年3月24日

横浜市立大学医学部附属病院の医療事故に関する事故対策委員会

 
は じ め に

 横浜市立大学医学部附属病院において,平成11年1月11日に2人の患者を取り違えて手術を行うという医療事故を起こしました。このようなことは,医療機関としてあってはならない重大な事故であり,患者さんとご家族・ご親族に心よりお詫びし,また市民をはじめ多くの方々に不安を与えたことを深く謝罪いたします。
医療事故を起こすに至った問題点の分析と緊急対応策の検討を行うとともに,今後早急に取り組まなければならない課題を整理し,病院再生の第一歩としてこの取りまとめを作成いたしました。
 今回の医療事故は,手術室への患者受け渡しの際に起きた患者の取り違えが,その後においても見逃されたまま麻酔と手術が続行されるなど,二重,三重のチェックポイントをすり抜けた事故であります。これは医師・看護婦(士)各担当者の不注意のみならず,当病院における運用システム及び組織管理体制の不備が複合的に関係して発生したものと言えます。
 この原因として不注意が重なったことも事実ですが,大学病院の診療形態のひとつである臓器別診療中心の医療行為に目を奪われ,ともすれば医療の基本である「全人的医療」を軽視する傾向があったことも事故の要因として大きく関与しており深く反省しております。医師・看護婦(士)に強く求められていることは,常に真摯な態度で患者と向き合う姿勢であります。
 一方で,不可避の内在的要因,思い込みによる事故を未然に防ぐシステムが不完全であったことが明らかとなりました。その意味において,これまでの当病院の組織・管理や教育などのあり方とも密接に関係している事故と言えます。
 今回の事故を引き起こした当病院としては,このような事故を今後二度と繰り返さないための方策を提示すると同時に,当事者として,自ら大きく変革を図らなければなりません。
  その方策の一部は既に緊急対策として実行に移しておりますが,今後は,意識の変革と医療に携わる人の教育に積極的に取り組み,あわせて組織・機構の整備が不可欠であります。
 平成11年1月11日の医療事故を決して風化させないために,毎年1月11日を医療事故防止のための総点検の日とし,ここに提起されている施策の追跡調査と定期点検を行い,覚悟を新たにいたします。この日を病院改革のための出発の日と位置づけることで,決意の証といたします。
 

 

1.医療事故の概要

 平成11年1月11日(月)に行われた外科手術において,対象患者を取り違えたことにより,本来行うべき手術を相互に誤って行ってしまった。

  1. 病棟から手術室へ患者を引き継ぐ際に患者を取り違え,そのまま手術室へ送ってしまった。
  2. 手術室に携わる医師側(手術担当,麻酔担当)においても,予定された患者が来ていることを前提に臨んでいることなどにより,患者が入れ替わっていたことに気づかずに手術を行ってしまった。
  3. 手術後の患者を集中治療室(ICU)において観察中,担当医師が患者の入れ替わりに気づいた。

【患者さんについて】
 
A氏(74歳男性)
B氏(84歳男性)
疾   患
心臓疾患 肺疾患
入 院 日
平成11年1月7日
平成10年12月28日
予定手術名
 僧帽弁形成術又は弁置換術  試験開胸術中生検
 悪性の場合右上葉切除
予定手術室
  3番手術室  12番手術室
実施手術室
 12番手術室   3番手術室
手術時間
10:05〜13:50
(入室8:20,退室15:45)
9:45〜15:45
(入室8:20,退室16:15)
実施手術
 右肺嚢胞壁切除縫縮術  僧帽弁形成術
手術に関わった
関 係 者
手術担当医師 (R,S,T) 3名
麻酔担当医師 (J,K)  2名
看護婦 (F,E)  2名
手術担当医師 (X,N,Q) 3名
麻酔担当医師 (L,M)  2名
看護婦 (G,H,I) 3名
体 型 等
身長:166.5cm
体重:54kg
身長:165cm,
体重:47.3kg

【医療事故の経過について】
 事故に至る経過や当日の状況,事故の要因など調査した内容を時系列で整理し,資料「I 事故の経過」,「II 図面」,「III 各部門の配置体制」としてまとめた。


2 事故原因の分析

 今回の事故は,手術室への患者受け渡しの際に起きた患者の取り違えが,その後においても見逃され,それぞれ入れ替えられたまま麻酔と手術がされた事故である。
 事故に至った直接の問題点として,

  1. 1人の病棟看護婦が2人の患者を同時に手術室に移送した。
  2. 手術室交換ホールでの患者受け渡し時に患者を取り違えた。
  3. 患者とカルテを別々の窓口で引き渡し,別々に手術室に移送した。
  4. 患者への名前の呼びかけと患者の返事が,患者を識別する方法とはなり得なかった。
  5. 患者A氏の背中に貼ってあったフランドルテープが患者識別につながらなかった。また,申し送りも活かされなかった。
  6. 麻酔開始前から主治医が患者に立ち会っておらず,患者の識別を行っていなかった。
  7. 患者の歯の状況や頭髪の様子の違い(長さ,色)によって患者の取り違えに気づかなかった。
  8. B氏の麻酔準備から開胸前の間に実施した各種の検査結果が,術前の検査結果と異なることに疑問を持ち,一応の確認はしたものの,患者の識別には至らなかった。
  9. 開胸後も,患者の取り違えに気づかずに手術を続行した。

ことがあげられる。
 これらの問題点を概観すると,それぞれに関わる医師,看護婦(士)の不注意のみならず,患者確認と安全に対する意識と責任感が希薄であったと言わざるを得ない。
 また,多くの医療従事者の「思い込み」により,二重,三重のチェックポイントをすり抜けてしまった事実は,患者識別方法の不備など医療事故に対して無防備な管理・運営体制や教育のあり方に重大な問題があったことを示唆している。
 従って,ここでは病院運営システム,病院組織管理及び教育上の問題点に限定して分析を加えたものである。

(1) 病院運営システム上の問題点について

 1 患者の取り違えを起こしかねない患者移送,引き継ぎの運用システムであった。

(具体的事項)

(背景)
 手術室の新しい患者移送システムの導入に伴う病棟、手術室内の体制の変革が不十分であり、言わばハード面が変わったにもかかわらず、ソフト面がついていけなかった。
 また、病棟側の看護婦(士)と手術室側の看護婦(士)の役割と責任分担が明確でなかった。

 2 患者確認の手順,方法が決められていなかった。

(具体的事項)

(背   景)
 ここ10数年,医療の高度化と専門分化は進んでいるが,それに伴い介在するステップが複雑化しており,当病院では各ステップを確実に進めるための方策や約束事についての議論と対応がされていなかった。

 3 事故が起こり得ることを想定しておらず,二重,三重の安全策,危機管理の方策がなされていなかった。

(具体的事項)

(背   景)
 医療全体にもかかわるが,「医療には間違いが起こり得る」との危機意識が乏しかった。医療に間違いがもちろんあってはならないが,絶対起こり得ないということではない。医療が複雑化し,多くの「人」が介在し,多くのステップがあることに対しての危機管理について方策が盛られてこなかった。

 4 手術室での種々の疑問点を統合的,横断的に把握する機能が働かなかった。

(具体的事項)
 別々の手術室で起こっていることや,疑問点が出ていることを手術室全体の問題として捕らえる方法が欠如したため,取り違えに気づかなかった。

(背   景)
 手術室内の管理,運営は手術部専任医,日勤責任麻酔科医,手術室婦長,日勤責任看護婦(士)などが果たすべきであるが,それぞれの役割と責任が曖昧であった。

(2) 病院組織管理上の問題

 1 手術に際して「患者確認」という患者の安全と人権にかかわる基本的事項について,関係各部(看護部,麻酔科,外科),また病院全体としての指導・教育が不十分であった。

(具体的事項)

(背   景)
 多くの診療科を抱え,高度・専門分化された大学病院の性格上,手術を含め診療や管理運用には各科の技術的側面と専門性が重視されることは当然である。
 しかし,そのなかで,「患者さん本位の医療」に対する配慮と指導を忘れがちであった。基本的事項について各科間の協調を図る努力が行われていなかった。

 2 患者の安全確保のため,主治医や担当医として本来行うべき役割と責任の範囲が不明確であり,指導管理が関係各科で不十分であった。

(具体的事項)

(背   景)
 1人の主治医がすべてを行う診療行為の場合は責任と役割は明らかであるが,複数あるいはグループ診療では,時に「どちらかが行っているであろう」とか「誰かが行っているであろう」とかの思い込みに陥り,患者側からみれば空白が生まれることがある。大学病院など多くのステップ,多くの医療従事者が関わるところでは多数の目で見ているという利点もあるが,役割と責任の分担が曖昧になった時には,逆にそれが欠点となってしまう。管理体制としては,これらの盲点が生ずる可能性があることを常に医師・看護婦(士)等に指導・教育し,また,責任の分担を明確にしておく必要がある。
 病院長をはじめとする各部門の長の権限と責任,医学部及び病院の意思決定方式の確立と責任の所在,主治医や担当医の役割の明確化が不可欠である。

 3 病院全体として医療事故を予防し,また事故が起こり得ることを想定した対策,訓練などを行う管理体制の整備が不十分であった。

(具体的事項)

(背   景)
 現在,医療現場の多くでは「間違いがあるはずがない」との認識に立った管理・運営体制が組まれている。「間違いはあり得る」として未然に防ぐ,また,起ったとしても最小限に抑え,二重,三重に誤りをしないとの危機意識が不足している現状があり,この点での管理体制の遅れを改めて反省せざるを得ない。

(3) 教育上の問題点

 1 高度に専門分化,複雑化する医療を患者の立場に立ち,見直す教育,訓練がされていなかった。

(具体的事項)

(背   景)
 医師及び看護婦(士)の教育,実習面で,病気への理解と病態への基本的知識の修得に主体がおかれ,患者の立場で物事を考えることや,患者の基本的人権を守ること,医師及び看護婦(士)に要求される倫理観と具体的な責任・義務に対する教育や現場での修練が不十分であった。
 研修医や若手医局員は従来から指導医に教わってきているが,体系的な教育はなされていなかった。
 看護婦(士)については,体系的な教育はされていたにもかかわらず,実践で活かしきれなかった。


3 事故後の緊急対策

 今回の事故は,当病院における医療の実態が,少なくとも患者の識別が,いろいろな過程において看護婦(士)の個人的な能力と注意力にのみ依存したものであることを浮き彫りにした。現代における先進医療が,多数の専門職の能力を結集した共同作業である一方で,当病院の運用システムはこれに対応しきれていなかった。運用システムが事故防止の点で機能しなかった事実をまず謙虚に反省し,病院として,病棟看護婦(士),手術室看護婦(士),主治医,麻酔科医,執刀医等の各専門職の役割と責任を明確にし,その責任に基づく個々の職種の行動基準(マニュアル)の整備に着手した。

(1) 既に対応した事項(資料 IV,V及びVI)

《患者移送》
病棟の看護婦(士)が患者を手術室に移送するのは,1回に1人を徹底した。
定時手術の場合は,病棟から手術室への患者移送に際し,主治医の1人が手術室交換ホールまで付き添い,手術室の看護婦(士)に患者が引き受けられたことを確認する。
《患者の引き受けとカルテ等の申し送り》
患者とカルテ類とが離れることのないよう,患者,カルテ類ともにハッチウェイで引き継ぎ,一緒に手術室に移送する。
《患者確認》
入院患者は,入院時に手首等に氏名,年齢などが記入された患者識別バンドをつける。
入院患者の手術等の際には,病棟看護婦(士)立会いのもとに患者の足底にマジックで氏名を書く。
手術室交換ホールにおいて,手術室看護婦(士)が行う病棟看護婦(士)からの患者引き受け時の確認は,次のとおりとする。
  • 患者の氏名を患者の言葉で確認する。
  • 患者識別バンドのID番号,氏名,年齢,性別,入院月日をカルテと照合し確認する。
  • 足底に書かれた患者の氏名をカルテと照合し確認する。
麻酔科医は患者を術前訪問し,当日はハッチウェイで出迎え,手術室の看護婦(士)とともに患者確認を行う。
手術室内では,麻酔科医は主治医とともにカルテの血液型検査結果のID番号,氏名を患者識別バンドと照合・確認し,患者識別バンドに血液型を記入する。
麻酔科医は,主治医とともに患者確認を行った後において麻酔を開始する。
《術前訪問》
10 手術室の看護婦(士)による術前の患者訪問は,原則として手術に立ち会う看護婦(士)が行い,訪問時には,患者確認の一助となるよう患者の外見的・身体的な特徴についても記録する。担当以外の看護婦(士)が訪問した場合であっても,術前訪問記録用紙に患者の特徴などを記入し,担当の看護婦(士)に引き継ぐ。
《術中の基本》
11 麻酔科医,執刀医は患者の確認に疑問を持った場合には,その疑問を解決するまでは新しい段階に進まない。
《行動基準(マニュアル)》
12 外科医が行うべき患者確認方法を明確にした。
13 麻酔科医が行うべき患者確認方法を明確にした。
14 看護部は,「手術室移送時の手順」や「手術室入室時の手順」(マニュアル)に事故対策委員会の決定事項を明記した。
15 手術部専任医が行う患者の安全管理に対する役割を明確にした。


4.今後の対応策

 今回の事故の事実確認と問題点の分析に基づいた緊急的対策は,既に前項で述べたとおり実施に移されている。
 しかし,さらに基本的な問題として,事故の背景には当病院の医療体制や管理運営上の欠陥が存在していたことが明らかとなった。これらについては,根本的な見直しと改善が必要である。また,思い込みや医療従事者間の意思の疎通の問題など医療事故に繋がる人的要因や医療事故の予防策についての情報収集と教育や環境の整備を行うことも重要な課題である。

(病院運営システム上の取り組み)
事故予防を目的とした危機管理対策
病院全体のマニュアル
各部門間の協調が円滑に行われるような病院内のシステムづくり
院内各部門における事故防止策の徹底と再検討
今回の事故対策が適切に行われているか追跡調査し,定期的にチェックする機能の整備
医療事故発生後の対処方法のマニュアル化
医療事故についての情報収集
(病院組織管理上の取り組み)
病院長の権限と責任の明確化
病院の意思決定方式の確立
(医療教育上の取り組み)
病院での医療従事者に対する医療事故の予防教育の徹底
病院での卒後教育(特に研修医)における医療事故に関する研修の実施
医学部,医学系大学院,看護短大のカリキュラムのなかに医療事故やリスクマネジメント(危機管理)に関する教育の実施


5.医療従事者教育に対する取り組み

 今回の事件で明らかになった点は,患者の視点に立った医療を行うための教育の必要性が叫ばれていながらそれが不充分であったことである。
 医師の最も基本的な姿勢は,一人の人間として患者と向き合い意思疎通を円滑に行うという「全人的医療」にある。その際,疾病の状況や軽重の差などにとらわれずに,すべての患者に対し誠意をもって接することである。しかも患者のみを診るのではなく,患者を取り巻く状況をも配慮しなければならない。このことは医学の道を選んだ者の原点となる心構えである。
 ところが,現代の医療はあまりにも身体医学に偏重し過ぎており,それがそのまま医療の現場に持ち込まれている。その結果,前述の様々な問題が生じてきている。今回の事故も,本質的にはこの基本的姿勢の貧困さに起因していると思われる。患者の多くは精神的に不安定で不安に満ちている。このような患者に対し,医師・看護婦(士)をはじめすべての医療従事者が不安を和らげる努力をすることが必要である。
 医療事故を二度と繰り返さないためには,医師のみでなく医療に携わるすべての関係者が,患者の視点に立った医療という基本的な姿勢を徹底して身につけることが重要である。
 医学・医療の教育にあたる医療従事者は,技術的な教育は言うまでもなく,こうした基本的なあるべき姿勢を教育するとともに,自らも研鑚する義務を有していることを絶えず自覚しなければならない。


6.抜本的な病院改革を目指して

 今回の医療事故により,医師,看護婦(士),そして病院全体に対する患者や市民をはじめ多くの方々からの信頼を失ってしまった。ただ単に医師や看護婦(士)のミスという問題に留まらず,病院における管理体制や運用システムにその要因があったこと,そのことを見過ごしてきた医療従事者としての意識の問題に根源があるが故に,この事実を極めて深刻に受け止めなければならない。
 今後,この事故はもとよりあらゆる医療事故に対して具体的な対策を立てることが極めて重要である。とりわけ,附属病院は大学病院として医師の養成や治療法などの研究を行うとともに高度な医療サービスを提供する使命があることから,人々の信頼を一刻も早く回復し,地域の基幹病院としての役割を果たしていくことが当然の責務である。このため,これまでの調査の過程などを含め,個人に関わる情報以外は基本的にすべて広く公開し,それに対する意見や批判を受けつつ,事故調査と事故の事後対策とを進めることが必要である。
 事故対策委員会としては病院内部での一連の事故調査について基礎的作業を果たしたものと考え,今後引き続き,大学をあげて問題点を掘り下げ,再発防止対策に取り組むことが必要である。
 このため,事故対策委員会を引き継ぐかたちで改組し,抜本的な病院改革を目指して大学に「病院改革委員会」を設置する。そのなかで,横浜市が設置した事故調査委員会の報告も踏まえ,病院の運営システムの構築,組織管理の見直し,さらに医療従事者の意識改革や教育について積極的に取り組む決意である。

(今後の対応)

(事故予防委員会)

1 目  的

 医療事故を予防し、患者の安全確保のため病院全体の潜在的なリスクを洗い出し、適切な対応を選択し実行する。

2 主な内容

3 構  成

 

 

「横浜市立大学病院改革委員会」等の設置について