vol.10 遺伝子から医療を支える社会制度まで。心臓・血管の治療に留まることなく総合的な問題解決を目指す
 医学群 循環制御医学 教授 石川 義弘(いしかわ・よしひろ) vol.10 遺伝子から医療を支える社会制度まで。心臓・血管の治療に留まることなく総合的な問題解決を目指す 医学群 循環制御医学 教授 石川 義弘(いしかわ・よしひろ)

医療は社会とは別の世界の存在ではない

アメリカ留学での辛苦が、研究者としての人生の原点

 私は、地元でもある横浜市立大学医学部で医学を学びました。高3の夏までは文系志望だったのですが、父の囲碁仲間の方に、医師という選択を勧められたのです。その方は、近代医学史の大家である荒井保男先生で、横浜市大の同窓会長も務められていました。先生の話を聞いて、大きな会社や政府などの組織で与えられた役割を果たす道もあるけれども、医師はチームを率いて、自分の力量で人を助けることができると知り、魅力を感じました。当時は手塚治虫の漫画『ブラック・ジャック』が雑誌に連載されていたため、そういう意味での憧れも少しはありました。
 大学在学中に、米エール大学に留学した1年間は、私にとっての原点です。一生のうちで、あれほど勉強したことも、辛かったことも、楽しかったこともありません。アメリカのアイスクリームやピザパイは格別に美味しかったし、大学のパーティーで当時学生だった女優のジョディ・フォスターとダンスをした思い出もあります。でも、学業に関しては本当に大変でした。
 講義を受けて、私ほどできない学生はいなくて、箸にも棒にもかからないような劣等生であることを実感させられました。優秀な同級生は、私が1年かけて読むようなテキストを毎月2、3冊も読むのです。膨大な情報量から必要なものを選別して、解を見つけていく能力が違うのです。私は足りない能力を、努力でカバーしなければなりませんでした。
 今の学生や若い方々にも、生涯一度でいいから、自分が集団の中で最底辺という状況を経験してほしいと思います。それは苦しくても、きっと素晴らしい経験になるはずです。次へのステップにもなるし、他人の苦しみを理解できるようになります。日本は住み心地が良すぎる面もありますので、若い人は海外に行くなどして、どんどん勝負してほしいですね。


大学の倒産が、医療制度について考えるきっかけに

 横浜市大を卒業後は、循環器について本格的に研究するために再び渡米し、コロンビア大学やハーバード大学で仕事に没頭していました。ところが、好条件で准教授として招かれたアリゲーニ大学が1998年に突然、倒産してしまったのです。アメリカで最大規模の大学医学部であり、グループ全体で1万人近い医師を擁する、全米でも最大規模の医療機関で、それが倒産したのですから、医者やスタッフだけでなく、患者さんも含めて周囲は大変でした。全米史上最大と言われる病院の倒産劇を目の当たりにして、医学部や病院がいかに地域で大事な役割を果たしているのかを、まざまざと思い知らされました。
 医療制度について深く考えるようになったのは、その頃です。日本では国民皆保険制度[Keyword 2]が当たり前になっていますが、アメリカでは医療保険の保険料が高額すぎて加入できない人が多くいて、私はそのような人々を対象にした慈善クリニックで診療をしていました。ところが、適切な治療をしたはずの患者さんが自宅に戻ると、薬を買えずに体を悪くして再び治療を受けに戻ってくる。人を健康にするためは、医学だけではなくて、社会制度も大きく関わっていると気付いたのです。ちなみに私の患者さんのほとんどは移民か少数民族の方でした。
 現在、私の研究室では、日本の医療制度が世界の他の国とどのように違うのか、どうすれば最終的には患者さんを含めた国民のために役立つ制度となるのかなど、これからの社会に即応した医療制度のあり方を探っています。日本の医療保険は、飛行機に例えるなら、エコノミークラスの料金でビジネスクラスのサービスを提供しようとしているようなもので、財務的にも次第に無理が生じてきたのです。
 病院が経営で利益を上げていなければ、高度な医療を患者さんに提供できません。経済が良くなれば、医療も良くなります。医療は社会とは別の世界の存在ではなく、その国の社会や文化、政治や歴史の一部でもあるのです。

[Keyword 2]国民皆保険制度
日本では、全ての国民が何らかの医療保険制度に加入することが義務づけられており、病気やケガをした際に医療給付が受けられる仕組みになっている。しかし、保険料滞納のために保険給付が差し止められる事実上の無保険者は増加傾向にある。アメリカでは民間の医療保険が主体となっていたが、2014年から医療保険制度改革法(オバマケア)が施行され、保険加入率の向上をはかっている。