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HOME > 教員からのメッセージ − At the Heart of YCU > 医療技術や生命科学の進展がもたらす倫理問題に解答を試みる - 有馬 斉 准教授

医療技術や生命科学の進展がもたらす倫理問題に解答を試みる - 有馬 斉 准教授

重要な生命倫理の問題に答えを出したい

代理出産や臓器移植の是非といったいわゆる生命倫理の問題は、ニュース等でもよく取り上げられていますが、これらの問題について、倫理学の知識や方法を使って検討しています。

とくに今取り組んでいる問題の一つは、現代の科学技術とくに医学や生命科学の進展と、道徳的な感情との関係についての問題です。

たとえば、多くの人は、代理出産や臓器移植について考えると「ゾッとする」といいます。どこがよくないのか言葉にして説明することはできないが「生理的な嫌悪感」を覚えるから代理出産や臓器移植には反対だなどのようにいう人もいます。どうしてそのような感情的な反応が起こるのか。また、そうした感情が生じるという事実に訴えて代理出産や臓器移植が倫理的に許されないと結論付けてよいものなのか。さらには、一般にこうした倫理の問題を考える場面で感情が果たす役割とは何か。これらの問題の答えを追求しています。

また、安楽死・尊厳死の是非など、終末期医療の倫理に関する研究も行っています。この問題についてはとくに最近、厚生労働省や日本医師会など多くの組織や団体がガイドラインを発表してきましたが、いずれも終末期にある病人の延命治療を中止して死なせることを一部認める内容になっています。こうしたガイドラインにみられるような主張は倫理的に正当化できるか。人の生命の価値や、人を死なせるという行為の倫理性を検討することから始めて、政策提言まで繋ぐような研究がしたいと思っています。

答えを出すアプローチは多様

倫理学は、大きく3つのカテゴリに分類されることがあります(CLOSE UP)が、臓器移植や安楽死など具体的な事柄を取り上げる領域を応用倫理学といいます。これは少なからず他の2つのカテゴリにもいえることですが、応用倫理学の場合はとくに社会や時代との関わりが強いこともあり、他の学問領域の方法(たとえば調査や統計)や理論また研究成果を引用しながら研究が進められることがよくあります。

また、ただこちらから引用させてもらうというだけでなく、生命倫理の分野では、たとえば安楽死の是非といった同じ問題について、社会学・心理学・経済学・医学・看護学・公衆衛生学といった他の学問領域の研究者も自らその領域の方法や理論を使って取りくんでいます。答えを出すアプローチは多様です。他領域の人とお互いに引用しあい、ときには知りあって一緒に議論できるところも、この分野で研究することの面白みの一つだと思います。

CLOSE UP

「規範」「メタ」「応用」、大きく3つに分かれる倫理学

正しい行いとはどのような行いか、私たちの倫理的な義務とは何か、善い悪いを区別する基準は何か。こういった善悪や正不正といった価値の内容をあきらかにする領域は、規範倫理と呼ばれています。

それに対し、善悪や正不正の基準はそもそも客観的なものなのか、それとも社会や文化や個人に相対的なものでしかないのか、客観的なものだとすればそれはどういう仕方で世界に存在しているのか、また私たちはそれについてどうやって知ることができるのかなど、価値の存在の仕方や価値に関する知識の有りようについて研究する領域は、メタ倫理と呼ばれ、規範倫理から区別されます。

また、規範倫理の領域であきらかにされた正不正の基準を使って、生命倫理や環境倫理またビジネス倫理など、より具体的な実践的課題に解決を与えようとするタイプの研究を、とくに区別して応用倫理と呼ぶことがあります。

医療の現場で、倫理学の見解を活かす

病院ではさまざまな倫理問題が発生

倫理学の研究者は、現実の倫理問題を解決しようとする社会の取りくみに様々な形で参加しています。私の場合は、いくつかの病院で、倫理委員会の委員を務めています。これは、病院で主に患者さんに参加してもらって行われる研究について、倫理的に問題がないか審査するための委員会です。

ある程度規模の大きな病院では、常に新しい治療法や検査法を試す研究が行われています。医療の進展のためには必要なことですが、リスクを伴うことでもあります。そこで、一つひとつの研究計画について、患者さんにリスクを負ってもらうことを正当化するだけの意義がその研究にあるか、リスクが必要最小限に抑えられているか、患者さんが内容をきちんと理解したうえで参加に同意できる仕組みがあるか、などの点を審議しています。

 現場の経験と思考を補う知識を提供

研究の倫理以外にも病院ではいろいろな倫理問題が発生します。たとえば、治療の方針について医療者と患者あるいは医療者同士のあいだで意見が一致しない場合、どうするか。患者が認知症だったり意識がなかったりする場合、だれがどのように治療方針を決定するべきか。こういった問題が生じます。

数年前から、こうした問題によく対処したいと考える医療者に呼んでいただいて、病院で講演したり、事例検討会を一緒に企画したりするようになりました。倫理学の専門的な知識がどれだけ役に立っているかと聞かれると、私の場合まだ確信がないですが、医療者が現場で実地に経験し考えることを補ったり整理したりするのに役立つ知識を提供できればと考えています。

多様な意見があることと、学ぶことの面白さを学生に教えたい

学生が人クローンを肯定する考え方を発表

現代倫理学演習II、IV

先日、私の担当する教養ゼミで、「人クローンの是非」をテーマに発表した学生がいました。「今は技術として完成しておらず、健康に生まれてくる可能性が低い」、「研究者の興味本位で作られるなどした場合、クローンとして生まれてくる子の福祉に反する可能性がある」など、さまざまな問題が指摘されますが、どの指摘も今後人クローンを誕生させることを完全に禁止するべきだと考える理由としては決定的ではありません。

健康に生まれてこない可能性が高いという技術的な問題であったら、技術の進歩により解決できるかもしれません。あるいは、不妊に悩むカップルの助けになりたいという善意で取り組む研究者も出てくる可能性があります。

その学生は、このように一つ一つの批判に異を唱えていきながら、最終的に「人クローンは誕生させてもよい」と結論しました。問題について、よく調べられていて、論の展開も分かりやすく、また他の学生からもたくさんコメントを引き出せた、よい発表でした。

(写真は、2、3年生対象のゼミ「現代倫理学演習II、IV」。全員で共通のテキストを読み込んだ上で、毎回学生がテキストの内容に関する意見や疑問点を報告し、ディスカッションする。)

学生が講義や演習に主体的に参加する中で、自分なりの問題を組み立てていってほしい

講義や演習は、学生が主体的に参加できるかたちになるよう心掛けています。できるだけ学生に意見を求めたり、ディスカッションを取り入れたり、レポートを書いてもらったりするようにします。人前で意見しようとすると少し緊張したり、慎重に考えて言葉を選んだりすると思いますが、そうやって出した自分の言葉のほうが、たいてい教員の講義の言葉より強く記憶に残るように思います。これは私だけかもしれませんが、自分が学生のときは先生に質問したあと、自分の質問だけそのあともずっと覚えていて、ときどき考えなおしたりするのだけれど、そのとき先生が答えてくれたことの内容はすぐに忘れてしまっていることがよくありました。ただ、そういう自分の記憶に残るいわばよく練られた質問を自分で作ることができた背景には、質問するまでの段階で先生から教えてもらった知識があったはずだとも思います。そうやって学生がそれぞれ自分の問題を組み立てていくのを手伝えたらと考えています。

倫理学を学ぶのは本当に面白いことです。哲学の本や論文を読んでいると、自分がそれまでぼんやりと(あるいはけっこうしっかりと)考えていたことについて、自分よりはるかによく考えてしかもずっと洗練された表現を与えている人が他にすでにいたことを発見します。場合によってはそれが何百年も何千年も前の人であることもあります。また、どんな考えにも様々な批判がすでに出されていることがわかります。他の人の考えを学びそれについてさらに考えることで、自分の考えが新しくなって、もう少し先へ進むのを経験できます。そういう面白さを学生にも知ってもらえたら嬉しいと思います。

(2012.11.26更新)

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