ナビゲーションをスキップして本文へ
  • English
  • 日本語
  • 簡体中文
  • 繁体中文
  • Korean
  • 通常版
  • テキスト版
  • 交通・キャンパス案内
  • 資料請求
  • お問合せ
  • サイトマップ

研究者検索

大学紹介


ここから本文

HOME > 大学紹介 > 卒業生インタビュー16 - 中村格子氏

卒業生インタビュー16 - 中村格子氏

スポーツドクターとして、スピードスケートをはじめとする日本代表チームのチームドクターを務め、最近では、数多くの著書や講演、メディア出演を通して、健康で長生きするための運動を広める活動を行っている中村格子先生。
スポーツドクターの道へ進んだきっかけ、スポーツと医療をつなぐ活動の意味について、スポーツに関心の高い現役学生が、お話を伺いました。

プロフィール

なかむら かくこ
1966年生まれ。岩手県出身。
1992年横浜市立大学医学部卒業。
横浜市立大学附属病院、自治医科大学、日光市民病院勤務などを経て、2009年より国立スポーツ科学センター*医学研究部研究員。
健やかに美しく歳を重ねるための運動に関する著書多数。

*国立スポーツ科学センター(JISS):スポーツ科学・医学・情報など先端的な研究のもと、充実した最新施設、器具・機材を活用し、各分野の研究者、医師等の専門家集団が連携しあって我が国の国際競技力向上のための支援に取り組んでいる機関。

運動の大切さをもっと多くの人へ。幸せとは、全ての人が健康で長生きすること。

市大は卒業生同士のつながりが強く、人間関係の温かい環境。

― まず、スポーツドクターの道を選ばれたきっかけは何だったのですか?またその経緯についても、ぜひ教えてください。

高校生のときに、中学時代からの同級生が怪我をして入院していた当時の横浜市立港湾病院にお見舞いにいったことがきっかけです。そこはちょうど、国体レベル以上のスポーツ選手しか入院していない科で、そんな場所があるのかととても驚きでした。そして、同級生の手術を担当された、スポーツドクターの大家だった高澤先生に憧れて、将来絶対にスポーツドクターになろうと決意したのです。横浜市立大学に入学したのは、その高澤先生が出身だったからということが大きかったですね。

しかし整形外科医になったものの、「足持ち三年、鉤(こう)引き八年」と言われるほど整形外科医の下積みは長く、スポーツドクターの存在をとても遠くに感じていました。そして、本当に将来トップアスリートを診られる環境にいけるのか、とても不安でしたが、夢だけは持ち続けていましたね。そんな状況の中、運よくJOC(日本オリンピック協会)の専任ドクターとして、選手団のチームドクターを務めていらっしゃった高尾先生という横浜市大の大先輩と知り合えたことがきっかけで、全日本スピードスケートチームに帯同するチャンスがやってきました。このチャンスを逃すまいと積極的に参加し、そのたびに仕事の魅力にのめり込んでいきました。一般の整形外科医と比べ、収入面では恵まれていませんが、好きだからこそ続けられていますし、大変やりがいを感じています。

― 先生は、人にも恵まれていると感じましたが、医学部にはそんな雰囲気があるのでしょうか。

市大の医学部は当時60人ほどしかいなかったためか、卒業生同士のつながりがとても強いと思います。それに、医学部の整形外科では女子は私一人だったこともあり、一人娘のように可愛がっていただきましたね。卒業後も関連病院に勤務したら、さらに大切にされましたね。ある先輩の病院では、「当院おすすめの運動」として、私の本のポスターを壁に大きく飾ってくれているくらいです(笑)。市大ならではの温かさがある環境で過ごせたことは良かったと思いますし、今も大きな財産ですね。

― 普段、スポーツ選手を診られていて、トップアスリートになる人って分かるものなのですか。

JISSでトレーニングするような選手は、誰でも一流になる要素はあると思います。でも、その中でトップに立てる人というのは、診察している立場から見ると、礼儀正しさと素直さが徹底的に違いますね。まず、彼らはどんなことでも聞き逃さないようにします。自分が強くなりたいと思っているので、怪我をした身体を早く治したいという熱意がすごく、真剣にアドバイスを聞いてくれますね。役に立つか立たないかはとりあえず置いといて、全て吸収しようとする。その素直さが、治療の面だけでなく、トレーニングでも活かされ、実力が伸びていくのではないでしょうか。逆に、身体的な特徴はあまり関係ないと思いますね。身体面の成長はトレーニングを積んでいくうえで、あとから追いついてくるものだと思います。

将来、病院に頼らなくていい身体づくりを提唱。

― スポーツドクターの傍ら、たくさんの本を出版されていますが、なぜそのような活動をしようと思ったのですか。

私は整形外科医をしていたとき、ひとつ疑問に思うことがありました。それは、たった5分しかない診察時間のために2時間も待って外来を受けに来る矛盾。そして、ほとんどの患者さんは適切な運動をすることで、病院に来なくても大丈夫になるので、一人一人にしっかりアドバイスしたいのですが、それが叶わない環境にとても不満を抱いていました。
 そこで腰痛改善教室を病院内で開きましたが、それでも教えられるのはせいぜい20人前後。もっと多くの人に伝えたいと思い「女医が教えるマジカルエクササイズ」という本を出版しました。表向きは女性向けの美しいカラダをつくるエクササイズ本ですが、「適切な運動をして、将来整形外科外来に通うことのないようにしてほしい」というメッセージを込めました。手に取った人が「これは他のエクササイズ本と違う」と感じてくれたのか、メディアに広く取り上げられ、現在テレビや雑誌に出る機会をいただいています。一人でも多くの人の目にとまり、運動をはじめるきっかけにしてほしいという、私の理想とする活動ができていると思います。

人や環境はみんな、あなたの夢に引き寄せられていく。

― 今後の目標について教えてください。

私の考えとして、「自分ひとりだけ健康でも幸せじゃない。家族や友人、みんなが健康のままに生きることが幸せ」というものがあります。全ての人が医療に頼らず、死ぬ直前まで自分の足で生活してほしい。だから、これからもどんどんメディアを通して、普段の暮らしの中で健康になるコツや運動を広めていきたいと考えています。これからの高齢化社会、生活面でも経済的にも下の世代へ負担をかけたくありません。せめて私たちの世代からでも、全員が健やかに人生を送れる社会をつくっていければと思っています。思い立ってから今日まで、ずっと続いている目標ですね。

― 最後に、現役の市大生に対して、メッセージをお願いいたします

私は学生時代にたくさんアルバイトをしました。アイスクリーム屋さん、パーティーのコンパニオン、選挙の手伝い、テニススクールのアシスタントコーチ、家庭教師、何でも。それはなぜか。医者になったら、「先生」と呼ばれる人生になってしまうので、世間の人たちがどのような気持ちで生きているのかをわかりたかったからです。見聞と経験が広がりましたね。それに、旅をするのもいいと思います。今、若者は旅をしたがらないと聞くこともありますが、日本という島国の中でとどまっているのはもったいない。十代後半から二十代前半の時期に、いろいろなものを聞いたり、読んだり、接することが、後々に大きな糧になります。大学時代、勉強ばかりしているのではなくたくさんの社会経験を積んでいってほしいですね。あとは夢を捨てないこと。夢を強く信じていたら、人や環境はその気持ちに引き寄せられていくから。

このインタビューの掲載されている広報誌whistle vol.18はこちらから >>>

  • 大学の理念
  • 大学概要
  • 法人情報
  • 大学広報
  • YCUサポート募金
  • 採用情報
  • 関連サイト

ページトップへ