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卒業生インタビュー12 - 馳星周氏

「不夜城」で衝撃的なデビューを飾って以来、ノワール小説の旗手として活躍する馳星周さん。作品を通して浮き彫りにされる社会が孕むさまざまな歪みや、人間の本質を見すえる鋭い眼力は、膨大な読書量と学生時代のエキサイティングな体験に育まれたものだ。最新作「光あれ」を上梓したばかりの晩夏、書斎を構える軽井沢の地で語っていただきました。

プロフィール

はせ せいしゅう
1965年生まれ。北海道出身。
1987年横浜市立大学文理学部卒業。
「不夜城」で吉川英治文学新人賞を皮切りに、「鎮魂歌―不夜城II」で日本推理作家協会賞、「漂流街」で大藪春彦賞を受賞。多岐にわたる趣味も、趣味の領域を超え、最新作「光あれ」ではカバー写真も撮影。サッカー、シガーに関する著作も多数。

夢は必ず叶うなんて、嘘だ。でも、夢をもつほうが素敵じゃないか。

― 僕は決していい学生じゃなかった。人のうごめく新宿の街が学校だった。市大はそれを容認してくれた。

北海道に生まれ育って、とにかく東京へ出たかった。子どもの頃から熱中していた冒険小説やハードボイルドの絶版本の宝庫である神田や早稲田の古本屋街にどっぷりと浸かりたい一心でした。家族から国公立しかだめだときつくいわれていたので、横浜市立大学を選びました。専攻は、文理学部の仏文です。でも、受験のためのホテルも東京に取って夜を徹し、試験当日も時間ぎりぎりで会場へ滑りこんだほどで、本当に東京しか見えていなかった。というのも、高校生の時から内藤陳さんと手紙のやり取りをしていて、陳さんが日本冒険小説協会をつくるぞと宣言されていたので、「僕もぜひ入れてください」「じゃあ、大学に入学したらうちの店でバイトしてくれよ」という話が進んでいたんです。

陳さんの店は、新宿ゴールデン街のバー「深夜+1」で、後に文豪になる凄い人たちが毎夜顔を出していました。デビューしたての北方謙三さんに、大沢在昌さん、船戸与一さん、志水辰夫さん、名前を列挙しはじめたら文壇史ができあがるほどです。僕はカウンターの中でウイスキーの水割りをこしらえながら、彼らの話にわくわくして耳を傾ける毎日でした。

ですから、学生生活の3分の2は新宿にどっぷり。大学ではテストとレポートを一生懸命やりました。それで、先生たちに手紙を書いたんです。私は苦学生でアルバイトしなければ生活が立ち行かないのです、というような直訴状を綿々と綴ったわけです。いま振り返ると、市大の懐の深いところは、僕のような学生を卒業させてくれたことです。学生の本分は勉強することですが、僕は新宿の街で本当にたくさんのことを勉強させてもらいました。ひと回りもふた回りも年上の人たちに揉まれて、人間の表も裏も見てきて、精神的にも著しく成長した時期が、作家になるための血となり肉になったのだと思います。

― 古今東西のあらゆる本を読破して、僕にとってのリアルが見えてきた。「不夜城」は、その最初の結実。

当時の僕の城は、大学にほど近いおんぼろアパート。家賃が月一万五千円だったかな。ここから1時間半かけて電車に乗って、新宿ゴールデン街に向かうわけです。移動中はまさに貪るように本を読みました。一日一冊。それまで読みたくても手に入らなかった作品が、東京ではいくらでも探し出せるわけですから。それで、長年の本への飢餓感を満たした時にふと思ったのが、これは嘘だ、ファンタジーじゃないかということでした。ハードボイルド小説を貫く男の誇りや友情というものに、違和感を抱きはじめたんです。小説ですから虚構の世界ではあるけれども、僕にとってはもうリアルじゃないな、もっと現実を突き付けてくる物語があっていいんじゃないかと思いはじめたんです。

大学卒業後に出版社勤務を経て、書評家になってからも、この気持ちは日増しに強くなっていき、じゃあ僕にとってのリアルな物語を書いてみようと挑んだのが「不夜城」です。誰かに小説とはこう書くものだとか、キャラクターはこうつくるんだということを教わったわけでもないのに、キーボードを打つ指先が解き放たれたように物語を紡いでいきました。最初は単に記号に過ぎなかった名前が、書き進めていくうちに血肉を備えた人間になっていく。人を殺し、裏切り、裏切られ、暗黒の世界で躍動する。

「不夜城」が出版された時に、よく聞かれたことが、「凄いです!中国マフィアに知り合いがいるんですか」と。「いるわけないでしょう」と笑って答えていましたが、要は想像力です。学生時代を新宿で過ごし、歌舞伎町の空気感は肌で知っています。そこに想像力を加えて、物語を推進させていくのです。登場人物にしても、誰かをモデルにしようとしても表面的なことしか描けません。それよりも、誰もがもつ自分自身の強い部分、弱い部分、ずるい部分、恐い部分に焦点を当ててぐーっと膨らませて、キャラクターをつくるんです。そうすると嘘ではないから、リアルになる。そういう意味では、どれだけ自分と本気で向き合えるか、向き合えるだけの自分があるかということが問われる。これは、小説だけに限らないことだよね。

― 考えろ、そして想像しろ。軽佻浮薄な世の中を挑発することが、作家としての僕の仕事。

僕の世代の青春期はバブル期で、浮かれ踊り狂っている大人たちを見てきました。それからバブルの終焉と共に日本経済が落ち込んで、今度はITバブルが来た。あれだけ手痛い目に合ったはずなのに、また同じように安易な幸福を手に入れようとする人がたくさんいた。そこには、何の振り返りもない、何も考えようとしない。そのことに僕はとても怒っているんです。地道に生きることを忘れたこの国は、いまとてもいびつな姿になってしまっている。いまのままでは、本当にこの国は衰退していくだけだと思います。何とかしなければということを考えた時に、作家である僕にできることは書くことなんです。

30代を駆けぬけて40歳を過ぎた頃から、僕の怒りの質が変わってきたと感じています。日本という国の巨大なシステムの下で、さまざまな要因が複雑に絡み合って「しょうがないよな」と思って生きている人たちがたくさんいることに気づかされたのです。そういう人たちのことを書きたいと思ったのが、「光あれ」です。

最初はシャッター通りのある町に暮らす人たちを書こうと思って、日本海の敦賀にあるシャッター通りを取材に行ったんです。すると目に飛びこんできたのが原発銀座と呼ばれている敦賀原発で、そこに生きる人たちをどうしても書きたくなった。構想したのは3.11の遥か以前、全て書きあげたのが東日本大震災の起こる少し前でした。被災された方には本当に心よりお見舞い申し上げますが、僕は作家としての仕事を完遂した、これに尽きるのです。読んでくれた人には、考えて、想像してほしい。そして、夢をもちにくいこの時代だからこそ、何でもいいから夢をもってほしい。夢は必ず叶うなんて嘘を僕はいわないけれど、夢をもたないと叶えることはできませんから。

このインタビューの掲載されている広報誌whistle vol.14はこちらから >>>

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