ナビゲーションをスキップして本文へ
  • English
  • 日本語
  • 簡体中文
  • 繁体中文
  • Korean
  • 通常版
  • テキスト版
  • 交通・キャンパス案内
  • 資料請求
  • お問合せ
  • サイトマップ

研究者検索

大学紹介


ここから本文

HOME > 大学紹介 > 卒業生インタビュー03 - 上田泉貴氏

卒業生インタビュー03 - 上田泉貴氏

共同通信社ニューヨーク支局長の上田泉貴さんにお話をうかがいました。
(このインタビューは広報誌whistle vol.4にも掲載されています。)

プロフィール
うえだ ともき
1979年横浜市立大学文理学部卒業。柳沢悠ゼミ(国際関係論)に在籍。
在学中に、スペインのサラマンカ大学に留学する。
1979年共同通信社に入社。新潟支局、福岡支社を経て86年から本社外信部。ハノイ支局、プノンペン支局、メキシコ支局、大阪支社社会部、ワシントン支局で勤務後、2004〜07年まで編集局ニュースセンター整理部長、副センター長を経て、07年よりニューヨーク支局長。(写真は、オバマ大統領就任式の1月20日、会社の仕事部屋で撮影)

厳しい時代だからこそ 未来のために必要なことをしてほしい

留学で体験した世界がこの仕事につくきっかけに

― 在学当時の横浜市立大学は、どのような雰囲気でしたか。上田さんご自身はどのような大学生でしたでしょうか。

 隣の金沢高校と区別がつかないような、まじめで地味な学生が多い静かな大学でした。2次にわたる石油危機の間と在学時代が重なったため、多くの学生が就職などで不安な将来を感じていた時代でした。親の仕送りもない貧乏学生だったため、バイトばかりして授業にも出られなかった。後に社会党委員長になった、当時の飛鳥田一雄市長のおかげで学費が据え置かれ、国立大学より安かったのが入学した理由の一つでしたが、本当に助かりました。

― 在学中に留学していたとうかがいましたが、当時留学しようと思った理由をお聞かせください。

 サッカーが好きで本場のサッカーを見たくてスペイン語を第二外国語にし、いまはないようですが、当時のスペイン中南米研究会に所属していました。そこの先輩がスペインに留学していたことが大きな刺激になりました。また、手当たりしだい、時間のある限りバイトしていた中で、スペイン大使館での英文資料作りのバイトをすることになり、スペイン大使館からもらったお金が奨学金の形となって留学を決断できました。

― スペインでは、どのようなことを学びましたか。また、海外生活を体験されたことが、その後どんなことに役立っていますか。

 教養学部で政治学、現代史、建築美術史などの単位を取り、専攻課程に行けるまでの免状はもらいましたが、学費がなくなり帰国することに。ベトナム戦争が終結したばかりで、当時のスペインはフランコ将軍の独裁体制下。内務省の秘密警察がアパートの捜索に踏み込んできたり、友人が学生運動を理由に拷問を受けたりという時代でした。同居人にはレバノン、シリアからの学生もいて内戦とか、パレスチナ紛争とかを考えさせられた2年間でした。
 同時に欧州の歴史と文化にも圧倒され、ほかの留学生の様々な考え方を知るなど刺激的な毎日で、それぞれの個人が強く主張して、尊重し合う世界を初めて体感しました。

就職氷河期の厳しい時代、語学を活かせる仕事を志望

― 記者になろうと思ったきっかけは何でしょうか。また、共同通信を選んだ理由は何ですか。

 石油危機による就職氷河期で、応募を認めるかどうかさえ企業の側が決めていた時期でした。会社説明会に行ける学生の数がゼミごとに割り当てられていたほどです。小生のように授業にも出ない成績の悪い学生は、とりあえず筆記試験だけの一発勝負で面接に進めるマスコミしか選択肢がなかったのです。NHKは学長推薦が必要だったので最初からあきらめ、民放を2社と共同通信を受けたと記憶しています。いずれの仕事でもスペイン語を活かせるのではないか、海外勤務できるのではないかという考えと、戦争をはじめ海外の事情を日本に伝えたいと思ったからです。

国際報道記者として、最前線の出来事を取材

― 記者としては主にどのような記事を担当されていましたか。一番印象に残っていることを教えてください。

 最初の7年間は地方で主に事件、事故担当の記者でした。その後はほとんど国際報道に携わっていますが、カンボジア内戦取材や、キューバ取材、ペルー・リマの日本大使公邸人質事件、ワシントン時代の2000年米大統領選挙、9・11、アフガンへの報復攻撃、イラク戦争開戦と、大事件の最前線で直接原稿を書け記者としては恵まれていました。オバマ政権誕生を現地で体感したことも忘れられませんし、バルセロナ五輪、米国でのワールドカップ取材もいい思い出です。

日本社会が世界から取り残されないか気がかり

― ニューヨークから世界各国に日々ニュースを配信されていて、最近日々思われることは何ですか。

 世界が文化的にも、経済的にも加速度的に同質化しようとしている中で、それぞれの国や人々が旧い体質からの脱皮の痛みに悲鳴を上げたり、先延ばししてきた未解決の問題に足をとられ、つまずいている時期だと感じます。
 血を流しながらも、軋轢に苦しみながらも変わる世界の中にあって、日本のオジサンだけが取り残され、狭くて、ぬるま湯の日本社会がいつまでもこのままだと信じているようで、外から見るとちょっと異様です。異様なだけならまだしも、意欲のある若い人、特に女性の才能や挑戦心を抑えつけ、足を引っ張っているようで心配です。若い男性が同じようなオジサンの再生産過程に取り込まれなければいいのですが、男社会を守っている方が楽なのでそちらに流されぎみなのも気がかりです。

― ご自身のお考えについて、人間として仕事人として大切にしていること、また座右の銘などがあれば教えてください。

 人生は短い独り旅ということを忘れないようにし、今日その日を可能な限り思ったように過ごそうとしている。配偶者や家族がいても本質は独りで、身勝手といわれようが、自我を大切にして、自分の個性や主張に沿って自由に生きようとするのが自然だと思う。そうやって自分の我を通そうとすることこそが、自分の子供だってそれぞれが一人の個別の人格だということを理解する早道で、その結果、他人を尊重して生きなければならなくなります。

<市大生への応援メッセージ>

 ××家の一員である前に、××企業の社員である前に、××業の人間である前に、あるいは日本人である前に、人類という動物だということを忘れずに。この動物が生き残ってゆくためには何代もかけて進化しなければならないが、そのためにいま、最善と思えることを一所懸命実行してほしい。日本の社会ではともすれば、前向きにしようとすることや人を、何もしない他人が冷笑したり、揶揄したり、できない理由をまずあげつらったりされることに遭うだろうが、そんなcynicismは相手にしないように。

  • 大学の理念
  • 大学概要
  • 法人情報
  • 大学広報
  • YCUサポート募金
  • 採用情報
  • 関連サイト

ページトップへ