YCU 横浜市立大学

もう「」をつけるのはやめよう

教養という言葉は大変に難しい言葉です。

しかし、難しい言葉のわりには、私たちは実に気軽に教養という言葉を使います:「あの人は教養がある」、「幅広い教養」、「教養が邪魔する」など。そして、本当に多くの人が教養について語ろうとしますが、なぜか多くの人は「『教養』」(内側の二重かぎかっこは引用文中のかぎかっこなので二重になっています。通常の文章中であれば、単に一重のかぎかっことして使われているものです)について語る結果となってしまいます。

教養というものを揶揄する文脈で使うため、あるいは、独自定義の教養について語るためなど、人により目的もさまざまですが、結局のところ、かぎかっこがついているものを見る限りは、真面目に「教養って何なの?」という問いに答えるものとはなっていません。

そこで、まず教養とは何かということを正しく理解することからはじめたいと思います。そして、教養を身につける意義を理解し、教養を身につけるためにはどうしたらよいかを考えて、もう教養に「」をつけることから卒業してほしいと思います。

「幅広い教養」とは?

教養について考えるときに、真っ先に浮かんでくるのがこの言葉でしょう:「幅広い教養」!

しかし、誰でも疑問に思うように、この場合の教養の意味は知識とほとんど変わりがありません。それどころか、「幅広い教養」というのは広く浅い知識とも言いかえられそうです。そんなものが教養なのでしょうか?

結論から言うと「幅広い教養」というのは、あまり正しい言葉とはいえないものです。ただ、実際問題として、教養のある人というのは、沢山の知識を持っていることが多く、その逆もだいたい成り立つことが多いので、「幅広い教養」という言い方がそれなりに不自然に感じられず、よく使われるのかもしれません。

この背景を考えてみると、以前は現在のように、インターネットで知識が簡単に得られるような時代とは違って、知識を得るのにも分厚い本を読まなければならなかったり、何年も人に教わったりと、それなりの時間と手間がかかった時代もありました。実は、その時間と手間をかけている間に、教養が身についていったのかもしれません。そういう意味で、とりあえず「幅広い教養」という言葉がそれなりに通じていたのかもしれません。

しかし、知識と教養は本来的には違うものです。

教養課程で学ぶもの

教養教育のことを「リベラルアーツ教育」ということがあります。この言葉の対応を考えると、リベラルアーツ=教養ということになります。それから、一般教養、教養課程という言葉もありました。以前は専門を学ぶ前に教養課程などというものがありました。

この場合の教養は、(より専門的な)学問の土台として身につける、あるいは、学ぶべきことがらなどを指すようです。そういう意味で、こういった具体的な科目の内容を教養と呼ぶ人もいます。ただ、これは、教養がかなり教育に限定されたものとして理解されたもので、あたりはずれで評価するなら△といったところになります。
一般的には専門教育に入る前に学ぶことには2つの意味があるようです。1つは、専門の基礎となる知識や方法論を身につけること。そして、もう1つは、将来専門だけを学ぶようになっても、ものの見方、考え方に偏りが生じないように、他の分野の知識でバランスをとることです(以前は、専門知識だけに偏った人間を「専門バカ」といって批判したものです。この言葉が端的に示すように、以前はバランスを重視していたことがわかるかと思います)。

ちなみに、横浜市立大学の場合ですが、共通教養では専門の集中的な学修に入る前に、基礎となることを学ぶための科目が用意されています。たとえば、医学を学ぶのに必要な生物学や化学のエッセンスを学ぶための科目です。
ただ、それでも、現在の横浜市立大学には教養課程はありませんし、共通教養が目指しているのは、昔ながらの一般教養などを授けることでもありません。しかし、考えの偏りを是正するバランス感覚を身につけてもらうしくみは、昔の教養課程や一般教養(一般教育)以上にパワーアップしたものを用意しています。
 

「ピースミールに問題を解決する決疑論的な能力」

ずいぶんと難しい言葉です。この言葉は、 「これが『教養』だ」 (清水真木著、新潮新書)という本でみつけた教養の定義です。この言いかえとして「生活の交通整理をするための『自分らしさ』のこと」という表現もありました。こちらのほうがわかりやすいかと思います。(本来、教養というのは、このようになるというのがこの本の趣旨です。ここでは結論だけを取り上げましたので、詳細については、実際にこの本をご覧ください)。

従来抱いていた知識や教育に深く関係付けられた教養というイメージからあまりにかけ離れているので、驚かれている方も多いかと思います。そういえば、 「討議力」 (東京大学教養学部附属教養教育開発機構) あるいは、 「学士力」 (文部科学省)という言葉も耳に入ってきます。上にあげた本ばかりでなく、近年、教養の本来の姿がいろいろな方面から見直されつつあるようです。
とにかく、いずれにしても、何らかの形での問題解決能力を教養と考えてよいようです。もちろん、いろいろな表現、言葉遣いがあるのには、それなりの理由があるのでしょう。それぞれに、教養の一面を捉えて強調してみたり、歴史的な意味で限定しているのかもしれません。ただ、これから大学へ入ろうとする受験生、あるいは、大学で現に学んでいる学生に対して、「教養とは何ですか?」とたずねられたら、

教養とは 問題解決能力 である。

と、答えるのがよいのではないかと思います。


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